児童ポルノ(18)児童ポルノ等禁止法改正に対する私見

12月4日に阿佐ヶ谷ロフトAで開催された保坂のぶとさん主催のトークライブに行ってきました。
児童買春児童ポルノ等禁止法については、私も財団法人日本ユニセフ協会広報室長としてその実現のために奔走した立場の人間なので、この法案をめぐる最近の微妙な政治状況を踏まえて少し発言を自粛していたのだけど、保坂さんや山口弁護士のお話を聞いて、やはり、自分の(個人としての)意見は仮に不完全であったり不十分であっても、公の場に出していかなければならないと思い直しました。
 
保坂さんが話していたように、与野党の一部議員の間だけで児童ポルノ等禁止法改正案が話し合われ、そこで結論が出て、国会の委員会という公式の場では審議が行われないというのは、この法律が議員立法として誕生したという経緯から考えても、やはり望ましくないと思いました。
この法律が作られた時には全政党からこの問題に関心を持つ議員が2名ずつ参加して、毎週1回のペースで勉強会を7回開催し、そのあと参議院法務委員会で1日、衆議院法務委員会で3日間審議が行われています(森山真弓・野田聖子『よくわかる改正児童買春・児童ポルノ禁止法』ぎょうせい、2005年)。
 
今回は、実在の子どもを被写体としたポルノの単純所持処罰の是非、非実在の子どもポルノの取扱という、最も難しい課題に取り組むわけですから、広く市民の声を聞く機会を設けると同時に、国会の委員会でも議論を尽くすべきと思います。
 
私の考えです。
1.児ポ法は子どもを権利の主体として把握する国連子どもの権利条約の精神に基づいて作成された法律ですから、第一に子どもが自身の力で性的搾取・虐待から自分を守れるような、メディアリテラシー教育を含む適切な性教育を子ども達に提供すべきことを児ポ法第14条に明記すべきと思います。
2.国連子どもの権利条約第12条は、「子どもに影響を及ぼすすべての事項について、自由に自分の意見を表明する権利があり、その意見は子どもの年齢と成熟度にしたがって、相応に考慮されなければならない」とあります。
したがって、児ポ法改正にあたっても、十分かつ適切な情報を子ども達に提供することを前提条件に、子ども達の意見を聴取すべきと思います。
具体的には、附則第2条に、「(国際的動向等を勘案し)、広く子どもの意見を聴取した上で、(検討が加えられ)」という一文を追加すべきと思います。
3.児ポ法は実在の子どもを性的搾取から保護することを目的とした法律ですから、子どもポルノについても、その定義を明確化するために、第2条3項については、子どもの権利条約選択議定書第3条第1項を援用して、「その他児童の性的部位を描いたすべての表現で、その主たる目的が性的目的による描写であるもの」と差し替える。
4.実在の子どもを被写体とする子どもポルノの単純所持(自己鑑賞目的の所持)については、これを禁止する旨の規定を新設する。
5.子どもポルノの被害に遭った子どもの保護に関して、司法手続きにおける「子どもに優しい手続き」の導入を行うことを児ポ法第12条に具体的に明記する。
6.冤罪を避けるために、取り調べ手続きの可視化、国内救済手続きの整備、国際的な個人申し立て制度への加入を実施することを、児ポ法第3条に明記する。
7.創作物の子どもポルノについては、情報通信技術の進展に伴い、従来とは比べものにならないほど大量なポルノグラフィー的な創作物が子どもにもアクセス可能な形態で流通している現状を踏まえ、社会法益の観点から適切な規制措置を検討するために、臨時調査会を設ける
 
 
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児童ポルノ(18)児童ポルノ等禁止法改正に対する私見」への6件のフィードバック

  1. 森田さんのお考えと決断、しかと読みました。何か申さねばと思い、コメントを残させていただきます。以前のコメントでも書いたとおり、今の児童ポルノ法は、一部の議員の方々によって、女性活動家・諸団体の支持・票・資金を得るために利用され、また、警察関係の利権・捜査権力拡大にも利用されようとしています。去る6月26日の法務委員会にて審議された折は、話し合いというにはおこがましいのが実状でした。公明党・丸川珠代元議員による扇情的にのみ訴えるだけのお話。元警察官僚の葉梨康弘議員による「冤罪は有り得ない。警察を信じろ」という主張。現に児ポ法が原因で海外で起きている冤罪事件を一切考慮しない信じがたい発言です。そして、この場では申し上げにくいことではありますが、日本ユニセフ協会大使の方の良くわからないご答弁に関しても同様でした。海外、特に東南アジア系の貧困国の子どもたちの悲惨な現状を見てこられたのは立派なことなのですが、なぜ「その子どもたちを日本人ばかりが買春しに来ている」という無根拠な話に繋がってしまうのか不可解です。そしてこれらの“無根拠を根拠にして”、日本は「児童ポルノ大国」だという過剰表現なレッテルが貼られている。児童に対する犯罪率や女性に対する暴力も世界各国の中でも下位に位置している統計があるにも関わらず、です。日本からの買春ツアーについても、的確な統計を取ったという報告は無く、韓国の方がむしろアジアでの買春ツアーが盛んという話がある場合もあるくらいです(もちろんこちらも実証無しですが)。そして、今年に入って急激に増えたと取り沙汰されている児童ポルノ犯罪検挙件数についても、単に警察によって捜査範囲や立件件数が増やされたというだけのことで、児童ポルノがいきなり増えたという根拠には成り得ません。むしろ現行法で十分に取締りが可能なのではないか、という印象さえ与えてしまいます。児童ポルノ法改正にあたって、「本当に子どもたちのことを理解し助けたいという気持ちがそこにはあるのか」、その点が重要でしょう。そして同時に、「子どもたちを守りたいという感情が暴走しないように制御する」ことをしなくてはなりません。この2点を土台とした場で話し合いが持たれないがために、いつまでも進展が難しい状況になり、強硬姿勢・急進派のお話ばかりが幅を利かせることとなります。理系大の教授をされている理知的な森田さんだからこそ、きっとこの感情に固められている主張らの不可思議に気付かれたのだと思います。私も児童ポルノ法に関して、「統計や科学的な論証を元に論理的に構築し、被害を受けている子どもたちを守るために制定されるべきだ」と心から願います。そして最後に、ポルノグラフィー(実写・創作問わず)に対する規制に関してです。森田さんとしては、以前申されていた「個人法益」という観点は無くなったと解釈してよいのでしょうか。『ポルノグラフィー的な創作物が子どもにもアクセス可能な形態で流通している現状を踏まえ、社会法益の観点から適切な規制措置を検討する』確かに、子どもにそういったものを見せないようにしっかりと管理するのが大人の役目です。そういう考えから来る「社会法益」ということであるならば、私も同意見です。ですが、赤裸々に吐露しますと、私の中には背反する考えもあり、以前から様々コメントさせていただいていることですが、生物的人間(ヒト)から動物的な欲望、悪意が消え去ることはありませんし、政治や経済で動く社会では、上下関係、不平等はどこの世界にも必ず存在しますから、「本当に子どもに純粋な世界を見せることが大人の役目なのかどうか」ということが正直言ってわかりません。同時に「大人の都合で“天使のような子ども”という理想像を子どもたちに押し付けていないか」という懸念もあります。清く正しく成長して欲しいという願いと共に、「社会を生きること」「不平等な世界とはどういうものか」また今回の話を絡めれば「子どもらしさと大人の責務」「男女の性差・恋愛・ジェンダーとは」という現実的な問題も教えなければならない。それが「教育」の重要性です。男女問わず、私たちがかつて子どものときに体験・経験してきたような恋愛や性に関すること、率直に言えば生殖欲望を、規制によって隠蔽し無いことにするのは不可能ですから…ヒトですから、それに対し健全なアプローチの仕方を教えてやることこそが大人の正しい立場なのではないかと思っています。これは前回コメントした> 常軌を逸した「極端な道徳観念の強制」で子どもを縛ることが「正しい教育」に繋がる、いう考えは間違いで、> 「子どもの考えを尊重し、誤ったときには手助けできる距離にいる」というスタンスが「正しい教育」だと考えます。という考えを基にした私の考えになるのでしょう。長々と申し訳ありません。森田さんはいかが思われますでしょうか。私も保坂展人元議員の話を聴きに参じたかったですが残念です。いつか森田さんとも直接お話できれば良いなと思いもしますが、とりあえずはこれにてタイプするのを止めさせていただきます、失礼いたしました。

  2. 児ポ法に関する子どもの意見表明について幾つか事例をご紹介致します。事例12003年3月18日(火)自民党本部 自民党・児童買春等対策特別委員会 12回目の勉強会ECPAT/ストップ子ども買春の会の宮本潤子共同代表が、同会の下部組織であるSTOPユースαに所属する綱野合亜人氏(当時16歳)に、議員に対して成人向け漫画を提示して規制を訴えるという行為を行わせた。同勉強会に先立ち、宮本代表は綱野氏に何を話すかということを事細かく数時間に渡ってレクチャーした。事例22003年3月29日(土)フォーラムよこはま(横浜ランドマークタワー)ストップユースα主催「世代別・男が語る!なぜ起こるのか?子ども買春・子どもポルノ」休憩時間に児童のように見える成人向け画像を希望者に閲覧させ、「こんなにひどい画像がインターネットでは簡単にアクセスできてしまうんです!」と訴えるという趣旨のプレゼンテーションを綱野合亜人氏(当時16歳)に行わせていた。同画像はECPAT ストップ子ども買春の会が綱野氏にインターネット上で収集させたものであるとの説明がなされた。その場にはECPAT/ストップ子ども買春の会の宮本潤子共同代表、国際子ども権利センターの坂井隆之氏、元創価大学Save Children Network部長の矢野塁氏が立ち会っていた。実に素晴らしい子ども参加だと思いませんか?森田先生のご意見を伺いたく思います。それから「7.創作物の子どもポルノについては」のご意見ですが、ここで社会法益とおっしゃっているのは青少年の健全育成のことであり、そのためにそういった創作物への子どものアクセスを制限すべしということでしょうか?

  3. 森田様はじめまして。私がまず申し上げたいのは、アニメや漫画といった創作文化と児童ポルノはまるっきり関係ないということ。森田さんがいわゆる“オタク文化”についてどれだけ知識があるのか存じませんが、この国には漫画やアニメの“美少女キャラクター”を恋愛性愛の対象とする独特の文化が発展してきました。いわゆる「萌え」といわれるものです。聞いたことないですか?たとえばディズニーのミッキーマウスのファンが、本物のネズミに興味を持ちますでしょうか?私はミッキーマウス好きが高じて本物のネズミを飼い始めた、なんて人を聞いたことありませんよ。ミッキーマウスと本物のネズミは別の次元の存在なのです。同様に、“美少女キャラクター”も現実の女性や子供とはまったく別物なのです(だいたい見た目からして全然違うでしょう)。 キャラクターは現実の子供を描いたものでもなければ、代替物でもありません。キャラクターの愛好者は現実の女性・子供に対し、異性としての興味など一切なく、むしろ嫌悪の対象ですらあります。“萌え”という嗜好は新たな形の、一種の性的マイノリティであって、小児性愛などとはまったく異質のものなのです。こうした文化嗜好の規制に血道をあげているのは狂信的な保守系の国家・民族主義者、原理主義者たちです。彼らは「日本人に見えない」瞳や髪の色をしたキュートで魅力的な“美少女キャラクター”が登場するアニメや漫画、美少女ゲームと言った創作文化が若者の間に浸透しているのが気に喰わないのです。人種コンプレックスなどと絡み、そういうものに屈折した感情・憎しみを抱き、児童ポルノ規制に便乗してそういう文化を消し去ろうとしているのです。創作物規制に関してはもはや児童ポルノ規制とは何の関係もないのです。児童ポルノ規制がただ利用されているに過ぎません。これは偏狭な民族主義を背景とした、一種のマイノリティへの弾圧、ナチズムそのものなのです。森田さんにはそのことをきちんと理解していただきたいと思います。

  4. しっぽさんへそのような不確かで極端な言説は止めにしませんか、、この場にはそぐわないと思います。日本の漫画やアニメが所謂「エロ・グロ・ナンセンス」というものを土台とし、あの手塚治虫をも含んだ漫画文化の根底であることは、私も重々認知しております。スタジオジブリやポケットモンスターなど、世界に誇れるサブカルチャーが生まれる日本の土壌が出来たのは、江戸川乱歩などの昭和文学から連綿と続くその「高濃度高圧縮な大衆文化性」=「エロ・グロ・ナンセンス」によってその独自性を築いて来たからこそだということも理解しています。しかし、しっぽさんの意見では、単なる偏った極論にしか受け取ってもらえないだろうと思います。日本のサブカルチャーを正しく理解してもらいたいという気持ちはわかりますが、さすがにその言説では、理解してもらえることだとしても理解してもらえない、誤解と偏見を生むだけではないかと率直に感じました。

  5. りすさんしっぽさんの投稿は極端かも知れませんが、的外れではないと思います。「人権というのは、煎じつめて言えば、人は一人一人異なっているけれども同じように尊いという思想です」と仰られる森田先生がオタクというマイノリティの精神的自由権を制約することについてどう考えているのか、私もぜひとも伺ってみたいところです。かつてのアフリカ系アメリカ人がそうだったようオタクは人権の適用外ということなのかも知れませんが。

  6. save childrenさんここを借りて議論の場にしてしまうのは申し訳ないので簡潔にお返事だけを。思想・信条・嗜好など、個々人が持つ考え方はすべて尊重されるべきことあり、例えそれが少数の意見だとしても、多数意見の下に軽視されることはあってはなりません。大変その通りです。私は日本のサブカルチャー産業には理解を持ち合わせていますし、当然オタクの方々や所謂「萌え文化」を軽視する気は一切ありません。己に理解できない文化に恐怖し抹消しようとする考え方は、「文化活動に疎い自称有識者の大衆啓蒙的思考」「外来文化を拒絶する社会性」「土着的な宗教観」に大きく影響を受けているのは確かです。また、「ジェネレーションギャップ」という問題も含まれるでしょう。ただ、このような意見交換をさせてもらう「借りている場」のおいては、述べる言葉は「慎重かつ確かなもの」ではなくてはならないと考えます。確かに、しっぽさんのコメントに対しては前述したように仰りたいことは重々承知していますが、この借りの場で森田さんにお話しするには、あまりに極端で不明晰な内容のように思いました。これは精神的自由権とは別問題であり、相互理解することに対する姿勢の問題であると思います。

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