児童ポルノ(19)子どもの権利の視点に立つと?

りす様、save children様、しっぽ様。
ご意見とご配慮をいただき、本当にありがとうございます。
 
今、ジュネーブに来ています。
国連子どもの権利委員会に対する個人通報制度の創設について審議する第1回作業部会に参加するためです。
昨日確認したところ、中国、韓国、タイは本国から政府代表を送ってきています。
こういう時には、日本からも、是非、ハイレベルの政府代表を出していただきたいと思います。
1996年9月にストックホルムで開催された第1回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議でも、当初は日本からは誰も参加しないという話になっていたところを、当時の清水澄子議員や堂本暁子議員が政府に働きかけをして、やっと政府代表団が組織されたという経緯があります。
人権や社会問題についてもきちんとした取り組みを示すのが、G8メンバー国としての日本の国際的責任であると思います。
 
実はこちらの時間の今朝6時ごろに日本から電話がありました。
西日本のある地域で、人身売買問題と子どもポルノ問題に対する取り組みをしている方からの電話で、自分たちに出来ることは何か考えているのでアドバイスしてほしいという相談でした。
考えてみると、1996年のストックホルム会議で子どもの商業的性的搾取問題における日本の取り組みの遅れが指摘され、この国際的な批判に応えるために、日本国内で法律を作るためのキャンペーンを始めたのが、当時日本ユニセフ協会広報室長を務めていた私ですので、この問題については最後まで付き合うのが自分の社会的責任だろうと思います。
 
先ず、「エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれるサブカルチャーを含めて、マイノリティの文化を尊重することは人権という考え方の基本だと思います。
ただ、マイノリティの文化であるというだけで、すべての文化が等しく尊重されることを権利として求めることはできないと私は考えています。
この辺りはチャールズ・テイラー博士の受け売りになってしまうのですが、私たちがある特定の文化に向き合うときに、その文化を他の文化と平等なものと仮定して向き合うことを権利として要求することは出来るわけですが、その特定の文化が他の文化と対等なものとみなすことを権利として要求することはできません。
そのためには、他の文化と比較して、どの点において、その特定の文化が優れているのか、あるいは対等のものとみなされるべきなのか、説明して理解を得る必要があります。
もちろん、多数派には少数派の意見を聴く義務があります。
 
現在の日本では、児童買春児童ポルノ等禁止法改正に反対する規制反対派=ロリコンまたは児童ポルノ愛好家とレッテルが貼られています。
私は二分法でいけば規制推進派ですが、規制推進=正義であるという前提であらゆる法的規制強化が容認されていく社会は危険であると思っています。
 
児童ポルノ等禁止法の改正を巡る審議で必要なことは、「子どもポルノ」という概念をきちんと定義し直すだと私も考えています。
「ポルノグラフィー」については、日本では猥褻の3要件、米国でもミラーテストの3要件があります。
「子どもポルノ」といった場合、子どもを被写体としている「ポルノグラフィー」よりは定義は広いわけです。
「18歳未満の者による性的行為を視覚的に(visually) 描写した」情報・素材は、猥褻でない場合でも「子どもポルノ」とみなすというのが米国の定義です。
 
また、非実在の子どもを描いた創作物についても、猥褻なもの、あるいは青少年に有害な影響を与えると常識的に判断されるものは、社会法益の観点から当然、規制の対象となると思います。
ただ、この問題は児童ポルノ等禁止法とは切り離して、新規立法で対応すべきというのが、私の現時点での考えです。
なお、その際に、りすさんが書かれているように、性という複雑で、ある意味単純な善悪の価値観で裁くべきでない側面を持っている現象をどのように子ども達に伝えていくべきかという課題はよく考える必要があります。
子どもの権利の視点に立った性教育とはどうあるべきか、私も少し考えてみたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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児童ポルノ(19)子どもの権利の視点に立つと?」への3件のフィードバック

  1. 私は別にオタクの文化的優越性を認めろと主張しているわけではないのですが。森田先生は優越性を説明できない文化に属する人間の精神的自由権は制約してもいいとのお考えなのですか?それから、前回のエントリーへのコメントで紹介させて頂いた子ども参加への森田先生のご意見を伺いたく存じます。

  2. 勘違いしないでいただきたいのですが、私も少数者の趣味嗜好をなにがなんでも守れと主張しているのでは決してないのですよ。もしそれが子供たちの権利を本当に侵害するようなものであれば、「社会法益」の観点からも当然、規制されてしかるべきでしょう。しかし実際には、「萌え」文化なるものと現実の子供たちとの間に何の接点もないわけです。例えば秋葉原のいたるところに貼られている“美少女キャラクター”のポスターなんかを見てですね、あれを現実の子供と重ね合わせたり、子供を性の対象とするいかがわしい文化だとか思う人がいますか? いないでしょう?ある調査で、そうした嗜好を国民(かなり広範の年齢に渡ります)の65%以上が認知しているとするデータが明らかになっています。規制推進者たちも、何度も「調査」の名目で秋葉原を訪れており、分からないはずはないんですよ。にもかかわらず、いわゆる「萌え」といった嗜好があたかも存在しないかのごとく無視し、一方的に児童ポルノに類するもの、と決め付け、規制しようとしているわけです。明らかに事実と食い違う根拠に基づいた、ほとんどいいがかりとしか思えない言われなき規制が行われようとしている、その点を問題視しているのです。森田さんにおかれましても、「萌え」と「小児性愛」をなんだか混同しておられるようなので本当のところそのあたりをどのように考えておられるのか是非伺ってみたくて書き込ませていただいたわけなのですが。それを一部の方から不確かで極端な言説、ふさわしくない発言であるかのように言われるのははなはだ心外です。森田さんのほうから回答をいただきたいと思いますので、是非よろしくお願いします。

  3. >森田様『日本ユニセフ協会の造語である』とされていた“子どもポルノ”なる珍妙な単語の“公式な定義”が米国に存在していた、とは初耳です。是非、その根拠となる一次ソースを示していただけませんか?

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