児童ポルノ(20)

Save childrenさん、しっぽさん、そしてお久しぶりの技術屋さん。
コメントと質問。
ありがとうございます。
現在、私はジュネーブで国連子どもの権利委員会に対する個人通報制度の創設を巡る課題を審議する作業部会をフォローしていて、なかなかお返事をする時間が取れず、申し訳ありません。
 
まず、技術屋さんのご質問ですが、
米国における「子どもポルノ」(child pornography)の定義はCRS Report for Congressの中にあります。
Child pornography is material “that visually depict[s] sexual conduct by children below a specified age.”
米国の定義では、子どもによる性的行為を描いた素材は、猥褻でなくても、子どもポルノとみなされ、憲法修正1条による表現の自由の保護を受けないのです。
米国の定義が良いかどうかは議論の余地があると思いますが、少なくとも、「子どもポルノグラフィー」という言葉は日本ユニセフ協会の創作ではありません。
 
Save childrenさんとしっぽさんからのご質問で、「萌え」文化についてですが、1950年代後半に「リボンの騎士」という漫画が人気を博していたように、漫画のキャラクターに愛着を覚えるということは人間の自然の感情の一つだと思います。
 
しかし、子どもや女性を暴力で服従させ、搾取するような内容の(非実在の女性、子どもが登場する)創作物まで美少女キャラクター文化の一部であるという理由で社会的に容認すべきかどうかは、社会法益の観点から議論すべきことと思っています。
しかも、紙媒体が主流であった一昔前と違って、今はデジタル技術の発展によって、想像を絶するほど大量のポルノまがいの創作物がインターネット上を子ども達にもアクセス可能な形で流通しています。
やはり、この問題は、青少年の健全育成という観点から、実在の子どもを対象とした性的搾取を取り締まることを目的とする児童買春児童ポルノ等禁止法ではなくて、新規立法で対応すべきと私は考えています。
 
なお、私はオタク文化についても、それが他者の自由や人権を侵害しない限りにおいて、他のマイノリティ文化と同様な精神的自由は当然認められると思っています。
したがって、自己鑑賞目的であっても、実在の子どもを性的に搾取・虐待しているポルノグラフィーの所持(単純所持)は具体的個人の人権を侵害しているという意味で犯罪であるというのが、私の立場です。
 
時間が限られているので、舌足らずの部分があるかも知れませんが、私のお答えです。
 
 
 
 
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児童ポルノ(20)」への5件のフィードバック

  1. 「他者の自由や人権を侵害しない限りにおいて精神的自由は認められる」というのは常識的見解ですが、森田先生の仰っていることは全く整合性が取れていません。「創作物は社会法益の観点から議論すべき」といのうは具体的個人の人権を侵害しているわけではないけれども、表現の自由という精神的自由の規制を検討しよう、ということですよね?また、前回のエントリーで森田先生でのご主張は、要するに「マイノリティの文化は他の文化に対する対等または優越性を説得できない限り尊重されない」ということなのですが、この理屈で言えば、日本のイスラム教徒が日本のマジョリティに対してイスラム教の対等性または優越性を説明してもマジョリティが納得しなければ日本のイスラム教徒は尊重されないということになるのですが、これのどこが「他者の自由や人権を侵害しない限りにおいて精神的自由は認められる」というのと整合性が取れているのでしょうか?それから、森田先生の言う新規立法とは、創作物に対する子どものアクセスを禁止するものですか?それとも成人を対象とすることも認めないというものでしょうか?また、子どもポルノの流通により被写体となった子どもの人権が侵害されるというのは理解できるのですが、単純所持により人権侵害が発生するというメカニズムが理解できません。一人の小児性愛種が子どもポルノの写真を見ながらマスターベーションをすると見えざる力が働いて被害児童に精神的苦痛を及ぼすとでもいうのでしょうか。ご説明のほど、よろしくお願いいたします。最後に、以下の子どもの意見表明の事例について森田先生のご意見を伺いたく存じます。事例12003年3月18日(火)自民党本部 自民党・児童買春等対策特別委員会 12回目の勉強会ECPAT/ ストップ子ども買春の会の宮本潤子共同代表が、同会の下部組織であるSTOPユースαに所属する綱野合亜人氏(当時16歳)に、議員に対して成人向け漫画を提示して規制を訴えるという行為を行わせた。同勉強会に先立ち、宮本代表は綱野氏に何を話すかということを事細かく数時間に渡ってレクチャーした。事例22003年3月29日(土)フォーラムよこはま(横浜ランドマークタワー)ストップユースα主催「世代別・男が語る!なぜ起こるのか?子ども買春・子どもポルノ」休憩時間に児童のように見える成人向け画像を希望者に閲覧させ、「こんなにひどい画像がインターネットでは簡単にアクセスできてしまうんです!」と訴えるという趣旨のプレゼンテーションを綱野合亜人氏(当時16歳)に行わせていた。同画像はECPAT ストップ子ども買春の会が綱野氏にインターネット上で収集させたものであるとの説明がなされた。その場にはECPAT/ストップ子ども買春の会の宮本潤子共同代表、国際子ども権利センターの坂井隆之氏、元創価大学Save Children Network部長の矢野塁氏が立ち会っていた。

  2. ≫「子どもポルノグラフィー」という言葉は日本ユニセフ協会の創作ではありません。後学のため、その根拠を示していただきたけませんでしょうか?。事実であれば大発見であり、強い興味があります。なお日本ユニセフ協会は“子どもポルノ問題に関する緊急要望書”にて≫「子どもポルノ」と「児童ポルノ」≫本文では、現行法が触法物として規定し一般に「児童ポルノ」と称される写真・動画等以外に、子どもの性を「商品」として≫取引するもの(漫画、アニメ、児童ポルノ広告など)が存在することの問題点を指摘するため、現行法が規定するものを含めた≫総称として「子どもポルノ」という表現も使用しています。とはっきり記載しており、これ以前には同様の表現が明示的に“児童ポルノとは異なる概念”として示された例は寡聞にして知りません。そして日本ユニセフ協会による、この定義と、森田様を初め言論統制・表現規制推進派の方々の主張が大きく問題視されたのは、この点こそが原点のはずではありませんか?。また、森田様の示されたCRS98-670Aは“Child Pronography”=“児童ポルノ”に関する2003年のReportであり、子どもポルノなる珍妙な造語とは全く異なる概念についての内容です。さらに該当の文書は“computer graphics and drawingsor paintings done without any models.”についての規制を定めたChild Pornography Prevention Actについても言及していますが、それについては即座に違憲判断が下されたことも、ご存知ないはずはないでしょう。そもそもChild Pornographyが憲法修正1条の保護を受けない、のは、“Pornography(文学的芸術的政治的科学的に無価値である) ”から、である、という大前提が存在します。米国ではいわゆる実在児童による(日本を含む他国では児童ポルノ扱いされ得る)ヌード写真集などはChild Pornographyとは看做されません。いわんや創作物において保護されない、とする根拠は何処にあるのでしょうか?。≫子ども達にもアクセス可能な形で流通しています。具体的な事実を提示していただけませんでしょうか?。たとえば児童も比較的アクセスしやすい携帯電話ではすでにフィルタリングが義務化されています。そもそもアクセスできません。つぎにPCを利用したアクセスでは年齢制限を含めたフィルタは保護者の教育権の範疇にある話であり、他者がそれに干渉することは保護者の教育権に対する侵害です。携帯電話ではアクセスできず、PCでのアクセスは保護者の方針によるものであり、いずれにせよ“子ども達にもアクセス可能な形で流通”と仰るのはスジが通りません。≫青少年の健全育成という観点≫社会法益の観点から議論明示的に社会法益による規制を主張されておられますが、これは先だって主張されていた個人法益による規制とは別個と判断して宜しいでしょうか。その場合、以前のエントリにて指摘いたしましたとおり、社会法益、即ち誰の人権も侵害していない論拠による規制で職を失う人々が確実に発生し、その扶養家族である児童の生存権にすら作用が及びます。これは即ち、社会法益が児童の個人法益よりも優先される、とする主張です。この点についてご返答いただけておりませんが、どうお考えでしょうか?。さらにsave children様もご指摘のように、宗教は文化の最たるものの一つです。≫その特定の文化が他の文化と対等なものとみなすことを権利として要求することはできません。ある宗教が別の宗教と対等であることを要求できないのであれば、具体的にどういった宗教はどの宗教よりも劣ると仰りたいのでしょうか?。また、実際に宗教家の方に面と向かってこうご主張できますか?。さらにこれも再三再四複数の方から指摘があるところですが、そもそも規制とは具体的に何を指して仰っていますか?。まず店頭やインターネット上での流通は(上述でもあるように)原則的にすでにレーティングもゾーニングも済んでいます。それを徹底せよ、といった内容であればおそらく否定的な見解はほとんど存在しないでしょう。ECPATにせよ日本ユニセフ協会にせよ、表現自体を禁止せよ、との主張であるから問題となるのです。最低限、森田様の仰る”規制”が何を意味するのかは明示するべきではないでしょうか?。かなり甘く見られているようですが、表現規制とは他者への重大な人権侵害を行うべきである、というご主張です。その根拠ぐらいはより明示的にされるべきではないでしょうか。

  3. 技術屋さまご承知かと思いますが、米国における猥褻物と児童ポルノ規制の法理は別です。下記をご覧ください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%B7%9E%E5%AF%BE%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6#cite_ref-ibi_1-1

  4. >save children様仰るとおり本来全く異なる法理の支配下にある概念であることは重々承知しています(そもそも社会法益と個人法益で全くの別物ですね)。Pronographyは無価値でありそれゆえに表現の自由の対象とならない、とする判断が米慣習法では根底に存在します。“米国に於ける定義での”Child Pornography(決して“子どもポルノ”などという珍妙な造語が示すものではない)が憲法修正第1条の対象とならない根本的な理由の一つが、わいせつ物は無価値であるが故に保護対象ではなく、児童ポルノにはわいせつ物が含まれ、それはそもそも憲法の保護対象ではないこと、わいせつ物よりも“広く”範囲を示すChild Pornographyは実在する児童の権利侵害であると同時に“極めて厳密に対象が指定されているが故に”憲法修正第1条と矛盾しないこと、といった判断が判例が示されているわけです。http://www.law.cornell.edu/supct/html/06-694.ZS.htmlこういった事実は児童ポルノではない表現物を、児童ポルノあるいは類似物だと証して規制しようとするのであれば、大前提として抑えているべき情報であり、森田様の“極めて広範囲であり、児童の権利侵害すら存在しない創作物を児童ポルノであるとU.S.では判断している”という主張は真逆の内容であることを指摘したものです。ただ読み返してみると児童ポルノが100%Pornograhyであるかのような書き方になっていることは確かですね。これは誤りであり、上記のように訂正いたします。

  5. ご多忙の中、大変ご丁寧に質問にお答えくださりありがとうございました。森田さんには、規制に反対する人たちが、規制推進者たちに対し、大変な不信感を抱いている、ということを知っていただきたいのです。森田さんのように「子供の人権」というものを真剣に考えておられる方も中にはいらっしゃいますが、先日も述べさせていただいたように、ただ漫画やアニメといった創作文化(エロに限らず一般作品をも)が気に喰わないという理由で児童ポルノ規制に乗じてそうした文化を抹殺してやろう、とたくらんでいる人たちも少なからずいるのです。もし創作物に児童ポルノ規制が適用されればどうなるか、森田さんでも容易に想像がつくかと思います。「ドラえもん」や「となりのトトロ」といったものから、故手塚治虫氏の多くの作品に至るまで、多くの性表現が登場します。児童ポルノ規制によって、些細な表現をもってありとあらゆる作品が取締りの対象となり、創作文化が崩壊するのではないか、そうした懸念が愛好家の間で広がっているのです。実際、日本ユニセフは「漫画やアニメ文化を否定するつもりはない」といったコメントを出しながら、一方で、児童ポルノ法を適用し、そうした文化におけるすべての性表現を規制の対象にし、所持すら犯罪として取り締まるべきと主張しています。まさに二枚舌です。そのバックに、民族主義を掲げるタカ派の保守系議員らが控えているのは、かつて日本ユニセフ協会広報室長を務めておられた森田さんならよくご存知かと思います。さて、森田さんの「・・・子どもや女性を暴力で服従させ、搾取するような内容の(非実在の女性、子どもが登場する)創作物まで美少女キャラクター文化の一部であるという理由で社会的に容認すべきかどうかは、社会法益の観点から議論すべきことと思っています。」との発言についてですが、そういうのを見て不快に思う気持ちはよく分かるのです。私もそうした表現が好ましくないものであると思いますし、私自身、好意を抱くキャラクターが、同人誌なんかで陵辱されているのを見るのは不愉快ですから。でも、それなら見なければ済むだけの話です。描くことを禁止することは、描き手の内心の自由を侵すことであり、重大な人権侵害に当たりますので、慎重の上にも慎重を期さなくてはなりません。不愉快だからと言う理由で規制することは許されないのです。社会法益の観点から議論すべきとおっしゃっていますが、そもそもそうした表現はどういった形で社会法益を侵しているのでしょうか? 再三申し上げていることですが、やはりキャラクターは現実の女性や子供とはまったく違った存在であり、どう描こうと、間接的にも現実の女性・子供の人権侵害を行っているとは言えず、社会法益の観点をもってしても規制を正当化するのには相当な無理があるように思えるのですが。

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