児童ポルノ(21)

児童買春児童ポルノ等禁止法改正に関して現在もっとも重要なことは、改正案を巡る公開の審議をNGO関係者を交えて行う機会を設けることと、改正案に関してオンライン上でパブリックコメントを提出する機会を設けることを政府に要求することであると私は考えています。
 
しっぽさんは「規制反対派は、規制推進派に不信感をいだいている」と書いておられますが、私のみるところ、規制推進派も反対派を「ロリコンないし児童ポルノ愛好者」と同一視して正面から話し合おうとしていません。
私は保坂のぶとさんにも申し上げましたが、児童ポルノとか児童買春といった子どもの権利を巡る問題が市民社会のイニシアティブで提起され、法律にまでなったという動き自体は(自分が関わっていたからという理由だけからではなく)、日本の市民社会の可能性を示すものとして高く評価しています。
その意味で、日本ユニセフ協会の「ストップ!子どもポルノ」キャンペーンも、それ自体を否定して、法律の作成は専門的な官僚に任せれば良いという一部の人々の議論には賛成できません。
法律ないし政策は本来、当事者である市民ないし市民グループが問題を提起して、それぞれの分野の専門家のアドバイスを受けつつ、必要な原案を作成し、国会議員の政治的判断と調整のもとで政策ないし法律として実現していくことが民主主義社会においてはもっとも望ましい方向だと考えています。
国民の教育水準が十分に高くなかった戦前はともかく、現在の日本は本来の国民主権を実現できるだけの社会資本が十分に整備されています。
その意味で、児童ポルノ等禁止法改正の議論も、今後の市民主導型政策形成プロセスのモデルとなるような開かれた形で進むことを強く希望しています。
 
1.子どもポルノの定義について
技術屋さんとsave childrenさんの間のやり取りですでにはっきりしていますが、米国の「子どもポルノグラフィー」の定義は日本の法律の定義よりはるかに明確でかつ限定的であり、しかも、その規制根拠もはっきりしています。
私もそのように説明したつもりでしたが、舌足らずで誤解を与えたとしたら申し訳ありません。
したがって、米国政府の「子どもポルノグラフィー」の定義は、日本ユニセフ協会の「子どもポルノ」の定義とは異なっています。
どちらの定義がより適切かは、今後検討すべき課題であると思います。
ただし、日本の児童ポルノ等禁止法は、関係者の思いもあって、いろいろな要素をすべて盛り込もうとして、本来の趣旨から逸脱しつつある面が確かにあります。
実在の子どもに対する性的搾取・虐待は犯罪なので処罰の対象となるということには、規制反対派と称されている人々の間でも合意があると私は理解しています。
問題は、その定義があいまいで冤罪ないし拡大解釈による権力の乱用が起こる可能性があるという点です。
この点についての私の意見はすでに述べたとおり、
児ポ法は実在の子どもを性的搾取から保護することを目的とした法律ですから、子どもポルノについても、その定義を明確化するために、第2条3項については、子どもの権利条約選択議定書第3条第1項を援用して、「その他児童の性的部位を描いたすべての表現で、その主たる目的が性的目的による描写であるもの」と差し替える
という考えです。
 
2.創作物の子どもポルノについて
しっぽさんのご意見はよく分かります。
ただ、たとえばRapelayのようなコンピューターゲームは私の考えでは創作物であっても規制の対象となるのが当然だと感じます。
また、明らかに猥褻なもの、青少年の健全育成に害を及ぼすものは現行法でも規制ないし処罰の対象ですから、創作物の子どもポルノにも当然適用されます。
そして、繰り返しですが、インターネット時代の子どもポルノが質的にも量的にも20年前とは異なった次元のものとなってきていることは間違いありません。
中里見先生も書いておられますが、コンピュータグラフィックでは身体切断など実在の子どもでは不可能な残虐行為を容易に描きだすことができます。
したがって、これらの問題は、実在の子どもに対する性的虐待ないし搾取を取り締まる児童ポルノ等禁止法ではなく、新規立法で対応すべきと思うのです。
現行法でも猥褻行為は公序良俗を害する行為として社会法益を害するものと一般的に認められていると思います。
そして、子どもないし子どもを想起させるポルノグラフィックな創作物に対する規制強化は国際的には容認される傾向にあることは間違いありません。
ただ、非実在の子どもポルノについて、創作行為自体を規制すべきなのか、流通ないしアクセスのみを規制すべきなのか、が重要な論点であることは理解しています。
現時点での私の考えは、創作物であっても、Rapelayのようなものはやはり製造自体を禁止すべきということです。
ただ、この点は臨調で、公開審議も含めて関係者が広く議論をして日本社会として規制すべき内容と基準を定めれば良いというのが現時点での私の立場です。
 
3.子ども参加について
Save childrenさんがご提示くださった事例のうち、一番目の勉強会には私も参加したと思います。
まず、「子どもの意見」とは通常は「特定の子どもの意見」であって、子どもという集団を代表する意見ではありません。
綱野君の意見は、彼が宮本さんを含む関係者から得た情報、そして自ら学び考えたことを踏まえて形成した、あの時点での彼の意見として尊重される価値があります。
子どもは操作され易く、洗脳され易いと一般的に考えられていると思います。
しかし、私の経験からすると、大人でも洗脳されたり、他者の意見に容易に同調する人は少なくありません。
綱野君に関して申し上げると、私は彼をよく知っていますし、他者の意見をそのまま鵜呑みにする人間ではないということははっきり申し上げられます。
また、宮本潤子さんはこの問題に関して長年ご一緒に活動してきた仲間ですが、子どもの商業的性的搾取問題における子ども参加の意義と必要性については十分に理解されている方で、自分の意見を通すために子どもの声を利用するような人ではありません。
ただし、私と同様に自分の考えは当然持っているわけで、訊かれれば、自分の意見を(他の人間と同様に)話すと思います。
その意見を是とするかどうかは、訊いた人間の判断によると思います。
要するに、子どもも大人と同じ権利の主体であり、自由に自分の意見を形成し、その意見を公の場で表明する権利を持っています。
仮に子どもポルノの規制に反対という意見を持つ子どもがそのような意見を公の場で明らかにしたからといって、その子どもが規制反対派によって洗脳されていると判断するのは、やや短絡的と思います。
 
4.マイノリティの文化について
私の意見は、「いかなる文化も他の文化と同様な価値があるものと仮定して取り扱われる権利はあるが、他の文化と同様に尊重されることを権利として主張することはできない」ということです。
したがって、イスラム文化を自分のアイデンティティとする個人が、そのために社会的差別を受けたとしたら、それは明らかに基本的人権の侵害を構成します。
しかし、イスラム文化がキリスト教文化と同様な価値を持つかどうかは、キリスト教圏とイスラム教圏の人々が相互理解を深めていった上でしか判断出来ないことです。
それは、日本文化についてもあてはまります。
私が、人権という法規範を支える日本的基層哲学とは何かを研究しているのは、それが日本文化を世界の人々に理解してもらう上で必要な作業だと思っているからです。
しかし、私が提示する日本流人権の基層哲学が世界の他の文化圏(儒教圏、仏教圏、イスラム圏など)で対等な価値のあるものとして承認されるかどうは別問題です。
そのためには、先ず相互理解に基づく共通の判断基盤を形成する必要があります。
その努力をせずに、日本文化に他の文化と同様な扱いを権利として要求することは出来ないというのが、私の立場です。
 
最後ですが、保坂のぶとさんも言われていたように、児童ポルノ等禁止法改正を巡る議論はまだ十分に尽くされておらず、関係議員の間だけで進められるべき性格のものではありません。
私も、この問題が公の場で広く議論される機会が設けられるように、知り合いの国会議員さんたちにお願いしてみようと思います。
 
そして、大いに議論をしていきましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
広告

児童ポルノ(21)」への11件のフィードバック

  1. 児童ポルノ改正が本当に正しく改められるためには、森田さんの仰るとおり、一部の人々の思惑そのままに通されることを制止し、もっと長い時間を掛け議論をしなければなりません。子どもを守るというプロセスにおいては、その意識を広めることがもっとも重要な項目であり、単純に海外からの要請だとして「法律で罰則を作りました」というだけで解決するようなことでは有り得ないからです。そのような間違った活動が今後増えないためにもまず、児童ポルノ法に対する慎重論を語る人間=児童性愛者という差別的な論調を払拭していかなければならないでしょう。子どもに対する性的搾取・虐待を撲滅することには、誰も異を唱えることはないはずなのです。しかし、この改正によって新たに起こる問題についても、十分に想定し回避策を講じなければならないでしょう。ここの他の方のコメントや森田さんのご活動の中で気付いていただけた『冤罪や権力の乱用・暴走の危険性』は当然のこととして、さらに2点考慮しなければならないことをお気づき願いたく思います。まず1点目。児童ポルノ法は、児童全般を守るための法律であり「特に女性児童を守ろう」というものでは無いということ。これは大きく勘違いされやすい重要な点であります。ポルノという言葉のイメージが「男性向けのもの」という印象を作り出し、“女性”の性的搾取を撲滅するという趣旨で捉えている、またはそのように仕向けようとする傾向があります。児童保護の活動をしている方は女性が中心であることが多いため、そこに「反男性社会」という意識が含まれ、児童ポルノ法を利用して感情的にあらゆる方面に対し批判の目を向けすぎてしまうように見受けられます。その実、森田さんが言及されている通り、『関係者の思いもあって、いろいろな要素をすべて盛り込もうとして、本来の趣旨から逸脱しつつある面』があります。児童ポルノ法はあくまでもすべての子どもを守るための法律でなければなりません。女性の人権問題と絡めて語られがちな風潮は全くの間違いです。そのような反男性社会的な女性人権保護の主張らの影響によって、日本における児童ポルノ製造や児童虐待は、そのほとんどが実親によるものであるという統計データが忘れがちにさせられています。本当に考慮すべきことは「男女問わず被害を受けている児童を守る」ということでしょう。森田さんもどことなく女性の人権問題と児童ポルノ法に絡めがちですが、この事に関して異論なく改めていただけるのではないかと存じます。2点目。創作物を子どもに見せてはいけないという観点から規制することの意味とその「再検討」です。「青少年の健全な育成のために」という趣旨でそのようなものを規制することが是であるとなるのであれば、漫画等の性描写に限らず、中高生が好んで読むものの代表として「ケータイ小説」を見てみれば、そこには「暴力表現・殺人・セックス・二股・不倫・家出・非行」など、規制をするべきだと主張されかねない内容が当然のように描かれています。さらに学校で勉強する創作物から拝借すれば、「源氏物語」を筆頭に「古事記」「今昔物語」等、多くの作品に性的描写や殺人表現で青少年に悪影響を与える描写は多数存在します。源氏物語を卑下した説明をするならば、「光源氏という貴族が、葵の上を初めとして多数の女性と密通し貫通するのみならず、 幼い少女・若紫を権力で監禁し自分好みに調教するという不道徳極まりない下劣な行為を行う物語」と言うこともできましょう。これが「女流文学最古の物語で歴史的価値があるから健全である」と解釈する主張もあるのでしょうが、しかし単なる「情報」としてみた場合、女性をモノとして扱う作品であり、青少年の性意識や道徳には決して良い内容とはいえません。「源氏物語」を読んで、女性を軽視し幼い少女に欲情するようになる可能性は皆無とは誰にも言い切れないのです。また、前回のコメントで出しました江戸川乱歩の小説についても、近年では一切批判されることの無い小説メディアであり、乱歩は今でこそ賞賛される文豪でありますが、その内容が「猟奇的なエログロ」であるが故に、当時は「文学を愚弄する下劣」として論壇から多大な批判を受けていたこともあります。当然ですが、この小説は現代の青少年も容易に閲覧することが出来るでしょう。また、漫画アニメに立ち戻って一例を挙げるならば、例えばスタジオジブリ作品の「となりのトトロ」においては、お父さんと小学6年生のサツキ・4歳のメイが一緒にお風呂に入る有名なマックロクロスケのシーケンスがあります。これは非実在の幼い少女たちの裸体を衆目に晒し描いた児童ポルノでしょうか。さらに、先ごろ作者が亡くなられました「クレヨンしんちゃん」も、「5歳児の幼稚園生がみだりに男性器を露出し誇示し、周囲の大人を翻弄する物語」として問題視することもできます。そのしんちゃんに対し母親のみさえは、お尻を赤く脹れ上がるまで引っ叩き、眉間をゲンコツで強く圧迫し肉体的苦痛・体罰を加えます。これは、児童ポルノであり、児童虐待を描写した創作物であるのでしょうか。しかし、ここで1つの反論が思い浮かぶのかと思います。「“ゲーム”に関しては諸メディアと違うのではないか?」という主張が出てくるのでしょう。私は、それは法規制をするために構築された苦肉の詭弁のように感じます。確かに創作物であることで現実では有り得ない描写がなされることがあるでしょうが、私は「実際には不可能なことを創作物の中では出来てしまう」というよくある批判に対して懐疑があります。ゲームであることでそのプレイヤーの主体性が反映され悪い影響力が他と違う、と。しかし、森田さん自身が今まで再三ご主張していただいていたように、現段階ではそれが脳科学的に検証されたことは一切ありません。仮にゲームをプレイすることが疑似体験することと同義であるあらば、実際にそのような行為を行う人間とゲームをする人間から同様の科学的結論が示さなければならないはずです。実際には不可能な行為は文字通り実際に不可能なことであり、どこまで行こうと架空の域を飛び出ることは有り得ません。架空のゲームの中で反社会的行為をすることが青少年の健全育成に問題だとするならば、むしろ、ゲームにおいて「人を殺す」ことや「社会規範を破る」ことこそ同様に問題視しなければならなくなります。そちらのほうが「より青少年に現実的な悪影響を与えるものだ」と私は判断します。戦争ゲームでピストルを持って人間を撃つことは、問題ないのでしょうか。自動車ゲームで道路を身勝手に走ることは、問題ないことなのでしょうか。「ポケットモンスター」はモンスターみだりに乱獲しそれらに殺し合いをさせるものであり、架空の動物を虐待する行為に当たらないのでしょうか。こと性表現を表したものだけを標的にするのは、それは「宗教観や人権問題と相性が良く、わいせつ関係であるが故に反論されにくく、規制による権力の拡大や資金調達に都合が良い」という政治経済的な現実があることも、森田さんはご承知されていないはずがないでしょう。冷静な思考で判断すれば、創作物を内容やその歴史的背景によって公平に何が良くて何が悪いのか判別し裁くことなど誰にも出来ません。以上の2点も踏まえつつ、女性の人権問題として過剰に反応することを抑止しし、理性的・科学的根拠で持って法を作っていく必要がありましょう。毎度のように申し上げていることですが、規制して隠蔽したところで、何も解決しないと思います。子ども・青少年の健全な育成を目指すという立脚点から考えるならば、そういった創作物等に接する上での心構えを教えること、結局「教育」の推進をすることが最善策でしかないのです。「地道な教育」を訴える方が少ないのは、単にその効力が目に見えづらく活動に意義が見出せないからのように思います。どんな団体であろうと賛同者と資金は必要です。結果、本当になされるべき主張があやふやになり鈍化し、人権を盾にあらゆる方面の規制を訴えるだけの群集へと成り下がります。しかし、森田さんが代表をされていますセーブ・ザ・チルドレン様は、その名の通り、子どもたちを守るために活動されている立派な団体であると私は認知しています。ですから、このように賛同や反論コメントが来るのでしょうし、キャンペーンやイベントに多数の議員の方や学生ボランティアが集まるのだと思います。差し出がましいながらも、今後の活動によってより広い見聞を得、その教育的観点の意義を知り得ていただきたく願っております。

  2. 12月15日の日記で「他の文化と同様に尊重されることを権利として主張することはできない」と森田先生が仰ったのはある国家におけるマイノリティという文脈なのですが、それが今回は国家間の問題になっています。森田先生、話がずれてますよ。一体どっちなんですか?子ども参加については、手取り足取り何時間もレクチャーしたり、与えられている情報が偏向していたり(当時、擬似子どもポルノ(pseudo child pornography)という言葉が国際的には合成写真を意味していたにも関わらず、宇佐美昌信氏らがこれをアニメや漫画も含まれているという情報操作を行い、綱野君もこれを真に受けていた。これに限らず宮本氏は条約の解釈などで情報操作を繰り返している)、子どもにポルノを与えたりポルノの調査を行わせたりというのは常識的に考えて異常なんですが、それでも森田先生としては問題ないということでしょうか?Rapelayについてなのですが、このゲームは起動時に毎回次のような警告と注意が表示されます。ご存知でしたか?警告この作品の内容はあくまで創作物でありゲームです。このゲームの内容と同じことを現実に行うと法律によって罰せられることがあります。ゲームの内容は芝居でありフィクションです。本作品には暴力的、残虐的シーン、犯罪にあたる行為等、過激な表現が含まれています。気分を害するおそれがありますので御注意ください。また、犯罪にあたる行為を絶対に真似しないで下さい。注意この作品はすべてフィクションです。作品内に登場する人名・団体名・地名・事件および時代背景・職業等は全て架空のものであり、実際のもとのは一切関係ありません。また、このゲームは作品内容および演出上、18歳未満の方の購入・プレイが禁止されています。登場人物はすべて18歳以上です。これでも製造自体を規制すべきというのなら、単刀直入に申し上げて、現実と虚構の区別、ついてますか?また、青少年健全育成条例の合憲性を肯定した最高裁判例は、内容規制ではなく、時・場所・方法の規制であり、18歳以上の者に対する販売・流通が可能なこと、これ自体を問題視しないことを合憲判断の前提にしています。伊藤正巳裁判官は「すでにみたように本件条例による有害図書の規制は、表現の自由、知る自由を制限するものであるが、これが基本的に是認されるのは青少年の保護のための規制であるという特殊性に基づくといえる。もし成人を含めて知る自由を本件条例のような態様方法によつて制限するとすれば、憲法上の厳格な判断基準が適用される結果違憲とされることを免れないと思われる。そして、たとえ青少年の知る自由を制限することを目的とするものであつても、その規制の実質的な効果が成人の知る自由を全く封殺するような場合には、同じような判断を受けざるをえないであろう。」と述べています。従いまして、具体的な人権侵害を発生するものでもなく、猥褻でもない表現の頒布等を法律で全面禁止することは、憲法違反となります。森田先生は日本国憲法を破る法律を作らせるつもりですか?最後に、子どもポルノの自己鑑賞目的の単純所持が被害児童の人権を侵害するメカニズムについてご説明ください。

  3. >“子どもポルノ”なる造語について日本では法規制対象となる18歳未満の自然人を描いたポルノグラフィを“児童ポルノ”と称し、それに対して法規制対象となる児童ポルノに牽強付会し、範囲を大幅に拡げたものを日本ユニセフ協会・Save the Childerenといった集団が“子どもポルノ”と称していることは、その当事者である森田様は最もよくご存知のはずです。児童ポルノの法規制について語る場を用意されていながら、児童ポルノと“子どもポルノ”を混同して記載されるのは恣意的にせよ寓意にせよミスリードを誘います。明確に分離すべきではないでしょうか?>文化について他国の文化に合わせるために自国の文化を矯めるべきである、といった乱暴な文化論が、人権意識の希薄であった中世以前ならばいざ知らず、21世紀の国際社会で通用すると本気でお考えですか?宗教に例えればムスリムの女性は顔を隠す文化を持っていますが、ムスリム文化圏と付き合うために日本人も顔を隠すことを法制化すべきである、などと言い出したら狂人扱いされることでしょう。まして日本ユニセフ協会・Save the Childeren・森田様らは文化の存在自体を禁止すべきだと主張しておられるのですから、ムスリム文化圏と付き合うために日本人は顔を削り取るべきだ!と主張しているに等しいわけです。これほど傲慢で暴力的な文化論はちょっとお目にかかれないでしょう。他の文化圏と付き合う際に必要であるのは、互いに他者を認め尊重しあう精神ではないですか?。言論統制・表現規制を主張される方々が徹底して欠如されているのは、こういった寛容の精神ではないかと切に感じます。>子供ないし子供を想起させるポルノグラフィックな創作物に対する規制について森田様の示されたOptional protocols to the Convention on the Rights of the Child on the involvement of children in armed conflict and on the sale of children, child prostitution and child pornography(A/54/L.84)にて≫Child pornography means any representation, by whatever means, of a child engaged in real orsimulated explicit sexual activities or any representation of the sexual parts of a child for primarily sexualpurposes.と示されている以上、仰る内容と相反することに児童ポルノ法の改正にて既存の創作物も規制すべし、というご主張になっています。矛盾していませんか?また、このprotocolはOptionalであるが故にそのまま採用している国は私の知る限り一カ国も存在しません。逆にアメリカの事例のように同様の内容を法制化しようとして違憲判断が下るケースは枚挙に暇がありません。とても“国際的に容認されている”とは評しがたい状態であると思われます。>社会法益による規制により児童の個人法益が侵される問題についてご返答いただけていませんので再々度ご質問します。既得権益であるエロティックな創作物の作成を生業とする人々が存在し、そういった人々もごく当たり前に家庭を持ち子を為しています。子供の人権と全く関係の無い社会法益を根拠に規制(禁止)を行うと仰られているのですから、森田様に内面では森田様のお好みな社会法益が児童の(生存権すら含む)個人法益を大きく上回る、という主張になります。この問題についてはどうお考えなのでしょうか?

  4. 技術屋さま選択議定書はあくまで実在の子どもを性的搾取から守ろうとする趣旨の条約で、製造過程で現実の虐待を伴わない表現の規制を求めるものではありません。すでに実際日本は批准していますし、日弁連も「『子どもの売買、子ども売買春および子どもポルノグラフィーに関する子どもの権利条約の選択議定書』にも、コミック規制を義務づける条項はない」としています。http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/2003_09.html2002年の5月に日本が議定書に署名した際に、朝日新聞が「アニメ・漫画も禁止」という内容の飛ばし記事を書いたことにより、条約の解釈を巡ってかなり大騒ぎになりました。解釈論については山口貴士弁護士やARCの平野裕二氏が詳しいので、聞いてみてはいかがでしょうか。

  5. 森田さんのコメント、大変興味深く拝見させていただきました。>2.創作物の子どもポルノについてわいせつ表現については、創作物においても現行でも実写ポルノに準じた規制が適用されており(性器のモザイク処理、視聴・閲覧の年齢制限)、問題はネットの発達により、そういった規制にほころびが生じていることであり(創作物に限らず実写も)、それを解消すればよいだけの話です。児童を写真のようにリアルに写実的に描いたような絵やCGに関しては、「子供に対する性欲を煽る、子供を性の対象とする風潮を助長する」と言う主張とも矛盾するものでなく、社会法益の観点から、新法と言わず、現行の児童ポルノ規制の対象に加えてもいいかと思います。しかし、人間離れしたキャラクターに対する嗜好というものはこれまで私がさんざん述べてきたよう児童性愛などとはまったく異なるものであり、児童ポルノとみなすのは強引なこじ付けで、児童ポルノとして規制するのは本来の規制の目的を大きく逸脱したものであり、社会法益をもってしても、規制の対象に加えることには合理的根拠はなんら見出せませんので当然規制の対象外と考えます。なお、こうした文化嗜好は日本特有のものであり、海外で十分に正しく理解されているとはいいがたく、海外の規制の例を挙げて、それに倣え見たいな主張はナンセンスです。新規立法に関しましては、森田さん以外の規制派の人たちも最近よく口にするものです。ただ、創作物規制は抵抗が大きく大変そうだから、名前を変えて目くらましをし、実質児童ポルノ規制と変わらないよう規制を敷こうという意図が見え見えで、まったく賛成できません。残虐表現や陵辱表現等に関しては、これはもはや児童ポルノ問題とは切り離し、わいせつ表現同様、実写も含めポルノ表現、あるいはポルノを超えた表現全体の枠組みで考えていくべきかと思います。規制反対派の福島瑞穂社民党党首らに近い考えです。もし、社会通念上著しく問題があり、これこれこういう表現は違法である、と決まれば、それはわいせつ表現同様、当然全ての創作物にも適用されうるでしょう。ただ、現在この国において、公序良俗に反すると言う理由によるわいせつ表現規制以外に、社会法益を根拠とした表現規制(表現することそのものを禁止)はおそらくなく(私の知る限り)、表現の自由とも絡みますので、規制には慎重にも慎重を期すべきなのは言うまでもないでしょう。

  6. 子どもの権利を守るという観点からすると、児ポ法に社会法益を盛り込むのは止めて欲しいですね。保護法益の混乱による実務上の悪影響は専門家がたびたび指摘しているところであります。http://www.google.co.jp/search?q=site%3Ahttp%3A%2F%2Fd.hatena.ne.jp%2Fokumuraosaka+%E6%B3%95%E7%9B%8A+&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&hl=ja&lr=&sa=2思想哲学も市民の問題提起も結構なんですけれど、みんなもっと実定法の勉強しましょうよ。

  7. >save children様仰る事は重々承知しております。というより、“Convention on the Rights of the Child on the involvement of children in armed conflict and on the sale of children, child prostitution”と続いて”and child pornography”なのですから、そこに規定されているのは個人法益としての“実在児童の保護”を目的とした内容であるはずです。日弁連や山口先生の解釈も正にそれによるものでしょうし、先に述べた通り創作物を含めたありとあらゆる描写を児童ポルノとして規定するような定義は、私の知る限りどんな国も採用していません。しかし、前投稿内容でも記載したとおり”means any representation”かつ“by whatever means”で“in real or simulated”と表現されている時点で、この定義だけ取り出してしまうと“ありとあらゆる表現物”における性的描写が当てはまります。森田様の示した内容はまさに“そこだけ取りだして当てはめた”状態ですから、個人法益とは無関係にありとあらゆる描写が対象となってしまうわけです。ただし、この解釈は現行法令や日本ユニセフ協会・ECPATらと極端に関係が深かった旧与党(自民党・公明党)の法案に森田様の考えを付け足したケースであり、現与党で改正案としては可決される可能性が最も高い民主案に付け足した場合であれば、そもそも個人法益として法令を限定することが明記されるのですから、“そこだけ取り出した”場合でも内容は個人法益に限定されます。万が一そういった主旨で森田様が述べているのであれば、私の指摘は筋違いとなりますね。その点については付け足しておきます。

  8. 技術屋さまえーとっ・・・Child pornography means any representation, by whatever means, of a child engaged in real orsimulated explicit sexual activities or any representation of the sexual parts of a child for primarily sexualpurposes.という条文で児童ポルノと定義されているのは、英文法に則って解釈すれば、・実際(本番行為)のまたは擬似(スマタ)の性的にあからさまな行為に関与する児童のあらゆる表現(手段を問わない)・性的目的を主とする、児童の性的部位のあらゆる表現です。"in real or simulated"は"explicit sexual activities"にかかるのですが、その辺大丈夫ですか?で、森田先生は定義が曖昧とされる三号ポルノ(いわゆる児童ヌード)の構成要件を選択議定書の定義に沿って厳格化せよと言っているだけでしょう。ただし、森田先生の定義ですと、「性的部位」「表現」「描写」等の文言の解釈を巡って裁判所が混乱することが予想されます。なお、余談ですが、そのような改正をしたところで小手先にすぎません。奥村弁護士が指摘するところですが、法執行機関が児ポ法を個人法益保護法と認識するためには全面的に条文を書き直さないとだめです。http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20080320/1206007087

  9. >save children様その解釈で問題ないと思われます。児童の性表現について(それが真正の性行為であるか擬似であるかを問わず)ありとあらゆる表現方法を対象とする文章になっています。この認識は互いに違っていませんよね?。従って先に指摘した通り、この内容をそのまま取り出し旧与党案及び現行法令に付け足してしまえば、対象が創作物であるか否かは問題にならなくってしまう訳です。なお、奥村弁護士のBlogは私も毎日見ています。他に解釈も示されていますね。http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20090530/1243670210http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20091115/1258242294死者の場合は人権が存在しないにも関わらず規制されるのですから、現行法令が社会法益性を強く持っているのは間違いないでしょう。被写体となった方が望んでも販売できない、という事例もそれを示していますね。けれど民主案では管轄を児童福祉法の主管であり原則的に個人法益を扱う厚労省へ移すことで、個人法益保護であることが明示されます。実在児童の特定モデルを明示するような特殊なケースを除けば、創作物に個人法益侵害が存在しないことは明確である以上、(解釈の余地は残りますが)基本的には創作物は対象外となります。そのうえで、現場では実際の児童を用いた画像・動画等についてsave children様の指摘されるような混乱が発生する事はまず確実でしょうね。ただ、ここまで継ぎ接ぎだらけで(本質的には個人法益保護であるにも関わらず)立法者が社会法益保護に拘った法文自体が全ての元凶であることは間違いないでしょう。その意味では、小手先と仰るような修正ではなく、私も保坂前議員の指摘されるように法文を一から作り直し、児童保護に(個人法益保護に)特化し、それが確実に執行され得るような法令に改めたうえで議会での全員一致が適うほどの議論が必要だろう、とは思います。余談ですが、こういった議論がまともに成立するのは楽しいですね。表現規制推進派の方々も、泣き落としの感情論や声を荒げるだけの恫喝、実データを一切伴わない推測といった主張ではなく、議論に値する発言をしていただきたいと切に願いたいものです。

  10. 技術屋さまうーん。そもそも条約の解釈については「条約法に関するウィーン条約」というのがありまして、「第31条 解釈に関する一般的な規則」というのがありまして、条約の一部分だけを取り出して単独に取り出して解釈するというアプローチ自体ありえないんですが・・・。http://transnews.at.infoseek.co.jp/vienna_convention.htm#%E7%AC%AC31%E6%9D%A1法律用語としての「児童」は実在する自然人のことですし。それ以外については同意です。

  11. >save children様ああ、なるほど。微妙に見解が食い違っている理由が判りました。私は条文の一部を“単に文言として”取り出して法文に付け足すことを想定しています。普通法令に「~~条約に従って」とは書きませんから、その解釈は条約の内容や意味に縛られず単純に文言そのものの意味に縛られてしまう訳です。本来の条文そのものの解釈とは別になります。また、法令での児童の定義については本来は仰るとおり自然人が原則であり、その年齢が各々の法令で定義されていることが普通なのですが、児童ポルノのような“児童そのものではなく描かれている対象としての児童”が具体的に何を指すのかは明確にされていない状態になっています。児童ポルノ法にしても、18歳未満の“自然人”を対象とする、と明確になったのは枝野議員による法務委員会での質疑にて法務省・警察庁担当者が返答した末であることはご存知の通りで、法文自体には“描かれる児童”が自然人か否かは明記されていません。それゆえに準児童ポルノだの子どもポルノだのといった、個人法益性とは無関係な造語がまかり通る事態を引き起こしているわけです。最終的には司法による法解釈の問題になるかと思われますが、児童ポルノのような人権侵害であり、それゆえに重罪が科せられる法令では対象を曖昧にしていくらでも恣意的解釈が可能な法文になるのは問題でしょうね。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中