児童ポルノ(23)

技術屋さま、Save childrenさま、りすさま。
 
いろいろとコメントと質問をありがとうございます。
「回答しない」のではなく、「回答する時間がとれなかった」だけですので、誤解のないようにお願いします。
ジュネーブから帰ってきて、出張報告の責任を果たす必要があります。
そちらの作業、それから書かなければならない原稿など…生活のためにはいろいろありますよね。
 
それはともなく。
皆様は以下の記事をご覧になりましたでしょうか?
<政府は22日、鳩山内閣発足以来初の犯罪対策閣僚会議を開き、児童ポルノ根絶に向けた総合対策を検討する「児童ポルノ排除対策ワーキングチーム」(議長・大島敦副内閣相)を設置した。児童ポルノ犯罪はインターネットの普及を背景に、検挙件数や被害児童数が過去最多を記録するなど深刻さを増しており、各省庁の連携は初めて。有識者やネット事業者らからの聞き取りも踏まえ、来年6月に報告書をまとめる。
ワーキングチームは警察庁や総務省、外務省など関係9省庁の局長級で構成。「児童ポルノは絶対に許されない」という国民意識の醸成▽フィルタリング(閲覧制限)強化など製造、流通の各段階における被害防止対策▽被害児童支援の推進--などを検討する。
会議で、鳩山由紀夫首相は「(ワーキングチームを)ただ作ればいいのではなく、いかに迅速に行動に移すかがすべてだ」と指示した。>
【毎日新聞 2009年12月22日 東京夕刊】
 
私自身は、前回にも書きましたが、児童ポルノ等禁止法はきちんとした省庁縦断型のタスクフォースが所掌すべきと思っていたので、この動きは当然歓迎しています。
これからは、政府に対して、政府原案の段階でNGOサイドとの意見交換会を持ったり、HP上でパブリックコメントを求めるよう要求していくべきでしょうね。
何事も公開の場で審議を尽くすことが大切ですから。
 
ところで、ペンディングになっていたご質問ですが
1.マイノリティの文化に関する発言に整合性が欠けており、あまつさえ論点がずれている点についてご説明いただけますでしょうか。
これは、私の書き方が不正確でした。私は文化間の話をしているわけで、日本国内にも当然、マイノリティ文化はあり、一概に「日本流」とひと括りにできないことは理解しています。
ただ、海外で日本の文化をあまり理解していない方たちと議論をするとき、日本国内に多様な文化があることは前提としつつ、日本文化と他の文化という一次近似的な比較文化論で話をしなければならないことはあるわけです。
私の主張は、ある領域(必ずしても国家とは限りませんが)内においてマジョリティの文化とマイノリティの文化があった場合に、マイノリティの文化は当然、マジョリティーの文化と平等な価値を持つものと仮定して扱われる権利があるということです。そして、当然ながら、すべての人間は権利と尊厳において平等ですから、自分のアイデンティティを形成している文化にかかわりなく、等しく基本的人権を享受するということなります。
なお、マルチカルチュラリズムと人権を巡る議論はたいへん面白い領域ですが、私自身はまだきちんとした論考にまとめていません。
一度まとまったものを書いて、私の考えをきちんと体系的に提示した上で、児童ポルノ等禁止法を議論する場とは別の場で、再度議論を進めさせてください。
2.子どもにポルノを与え、またポルノの調査を行わせるような子ども参加を森田先生は問題ないとお考えなのでしょうか。
Save childrenさんのお書きになったことが事実であるかどうか、私には判断する材料がありません。
この点については、繰り返しですが、私は宮本潤子さんも綱野君も信頼しているとだけ申し上げたいと思います。
3.Rapelayに警告と注意があるにもかかわらず製造自体を禁止しろという根拠は何なのでしょうか。また、憲法違反となりうる法律を作らせるつもりなのでしょうか。
警告と注意を付け加えておけば、どのような内容のコンピューターソフト、画像でも許容されるのでしょうか?
性風俗の維持、青少年の保護はわいせつ罪の保護法益として一般に認められています。
私には、Rapelayのようなソフトが製造され、公然と販売されるような社会が青少年の健全育成にとって望ましい社会であるとは考えられません。
しっぽさんが言われるように、「社会通念上著しく問題があり、これこれこういう表現は違法である、と決まれば、それはわいせつ表現同様、当然全ての創作物にも適用されうる」ということだろうと思います。
そして、Rapelayに類する創作物(性的搾取だけでなく、その他の暴力的表現についても)についても、それらを違法と判断すべきかかどうかは、今後きちんと議論して決めるべきと思います。
なお、私は私個人の意見1.として以下の通り書いています。
児ポ法は子どもを権利の主体として把握する国連子どもの権利条約の精神に基づいて作成された法律ですから、第一に子どもが自身の力で性的搾取・虐待から自分を守れるような、メディアリテラシー教育を含む適切な性教育を子ども達に提供すべきことを児ポ法第14条に明記すべきと思います。
 
4.子どもポルノの自己鑑賞目的の単純所持が被害児童の人権を侵害するメカニズムについてご説明ください。
自分自身が誰かに性的な暴力を受け、そのシーンをビデオに撮影され、そのビデオが誰かに見られ続けているとしたら、被害者の人間としての尊厳は侵害されないでしょうか?
「自己鑑賞目的で他の人には見せません」と、その加害者が被害者に言ったとしたら、その人の行為は合法でしょうか?
あるいは、加害者がそのビデオを誰かに譲渡した場合、受け取った人間がそのビデオを自己鑑賞目的で見続けていることは、被害者の人権を侵害していないでしょうか?
実在の子どもが性的虐待を受けている画像(写真、ビデオ)が誰かに見られる度に、被害者の子どもの人権が侵害されるというのは、私には自明のことに思えます。
 
来年6月には、政府報告書もまとまる予定です。
いよいよ本番です。
 
言うことは言うべきですよ。
それこそ表現の自由ですから。
 
 
 
 
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児童ポルノ(23)」への3件のフィードバック

  1. 森田先生、ご返答ありがとうございます。1.マイノリティ の文化について森田先生の過去のご発言を引用しましょう。「ただ、マイノリティの文化であるというだけで、すべての文化が等しく尊重されることを権利として求めることはできないと私は考えています。この辺りはチャールズ・テイラー博士の受け売りになってしまうのですが、私たちがある特定の文化に向き合うときに、その文化を他の文化と平等なものと仮定して向き合うことを権利として要求することは出来るわけですが、その特定の文化が他の文化と対等なものとみなすことを権利として要求することはできません。そのためには、他の文化と比較して、どの点において、その特定の文化が優れているのか、あるいは対等のものとみなされるべきなのか、説明して理解を得る必要があります。もちろん、多数派には少数派の意見を聴く義務があります。」「その文化を他の文化と平等なものと仮定して向き合うことを権利として要求することは出来る」けれども「特定の文化が他の文化と対等なものとみなすことを権利として要求する」ためには「その特定の文化が優れているのか、あるいは対等のものとみなされるべきなのか、説明して理解を得る必要があります」ということですので、要するに多数派は一応対等であることを仮定してオタクの話を聞いてやるけれども、納得しなかったら尊重しない、と言っているのという意味にしか読めないのですが。2.綱野君問題自民党の勉強会に関しては子どもの権利条約ネットワークの横浜会議元子ども代表が知っているので問い合わせてみればいかがでしょうか。3.Rapelay問題森田先生の主眼は青少年の健全育成にあるとお見受け致しました。しかし、そもそもRapelayは成人向けで青少年には販売されないのですが、 Rapelayのようなソフトが製造され、公然と販売されると、どのようなメカニズムで青少年の健全育成が阻害されるとお考えですか?4.子どもポルノの自己鑑賞目的の単純所持が被害児童の人権を侵害するメカニズムについて>「自己鑑賞目的で他の人には見せません」と、その加害者が被害者に言ったとしたら、その人の行為は合法でしょうか?現行法でも製造罪で没収です。>あるいは、加害者がそのビデオを誰かに譲渡した場合、受け取った人間がそのビデオを自己鑑賞目的で見続けていることは、被害者の人権を侵害していないでしょうか?譲渡は現行法の提供罪で処罰可能です。譲り受けについては譲受罪または取得罪を創設するべきでしょう。以上を踏まえた上で、「実在の子どもが性的虐待を受けている画像(写真、ビデオ)が誰かに見られる度に、被害者の子どもの人権が侵害されるというのは、私には自明のことに思えます」というのは私にとって全く自明でないので説明をお願いいたします。

  2. >森田様既にsave children様が指摘されていますのでそれ以外の部分について、≫2.子どもにポルノを与え、またポルノの調査を行わせるような子ども参加事実であった場合に森田様がどう判断されるか、ということが問題なのではないですか?付け加えれば、事実であるか否かを森田様は容易に確認できる立場でもあるはずです。仮に事実であるとすれば、私であればとてもその様な人たちを信用できません。森田様は事実であったとしても信用する、ということでしょうか?≫警告と注意を付け加えておけば、どのような内容のコンピューターソフト、画像でも許容されるのでしょうか?私自身を含め再三再四指摘していますが、CGであろうとソフトウェアであろうとわいせつであれば刑法175条の対象になります。他者の人権を侵害すればそれぞれの法理にてやはり規制されます。どのような内容でも許容される、などという有りえないrhetoricを使われても意味がありません。逆に、そういった人権侵害や既存法令の侵害が存在しないが故に、社会法益性を持ち出されたはずではありませんか?≫性風俗の維持、青少年の保護はわいせつ罪の保護法益として一般に認められています。上述の通り刑法175条の対象であることは再三再四指摘されています。誰もそのようなことは問題にしていないでしょう。≫少年の健全育成にとって望ましい社会であるとは考えられません。健全育成、望ましい社会、それぞれの定義が必要です。さらに特定の表現物がそのを阻害することについて、根拠を明示するための学術的資料の提示が第一でしょう。その前提が存在したうえで、ようやく規制すべきか否かの議論が始まるのではないでしょうか。また、これも再三再四指摘されていることですが、合憲であると認められたのは児童に見せないための分売手段であって、森田様や日本ユニセフ協会・ECPAT東京らが求める言論・表現の自由の規制と言う重大な人権侵害が合憲とされたのではありません。むしろ分売手段が表現の自由を妨げてはならないことが判例にも明示されていることは指摘済みのはずです。≫(性的搾取だけでなく、その他の暴力的表現についても)についても、それらを違法と判断すべきかかどうかご存知の通り聖書にも暴力表現や強姦を暗喩する性暴力表現が存在します。他にも奴隷という重大な人権侵害を是とする表現、不倫、殺人、近親姦、虐殺といくらでも犯罪表現・犯罪的表現・暴力表現は存在しますね。当然、これらも全て規制対象として検討され得る、というご解釈ですね?他の創作物同様、聖書もアダルトゲームもただの創作表現物であるという点で全くの等価です。一方は規制対象であるがもう一方は除外される、などいうダブルスタンダードは一般的抽象的法規範の観点から許容されません。また前エントリにも源氏の例が提示されていますし、海外でもShakespeareが大衆文学でありsex&violenceは娯楽性の基本として作品に常に盛り込まれています。典型的なところでは、ジュリエットは13歳で自殺に至ってますね。他にもノーベル文学賞受賞者のGarcía Márquezの作品には少女娼婦を描いたものがあることも指摘した通りですし、日本でも紫綬褒章や勲三等瑞宝章の受章者である大作家の南條範夫が描く小説は“残酷小説”と呼ばれ多分に陰惨な暴力表現を含む内容です。もう少し大衆的なところでは紅葉の金色夜叉には女性に対する暴力が描かれていますし、漱石にせよ三島にせよ龍之介にせよ暴力表現・犯罪表現はお手の物ですね。さらに究極の暴力表現としては戦争があります。暴力表現が規制対象であれば、戦場を描けば全て規制対象、当然戦場の記録映画も対象、ということにならないと辻褄が合いません。森田様が求める表現規制がどれほど広範にどれほど大量の文化を破壊するのか、ご自覚しておられますか?なお、私の発したこうした「社会法益による規制を求めることが児童の個人法益を損ねる」にも関わらず森田様が児童の人権よりも規制を重視されることについてのご見解は、返答がいただけていません。ぜひ返答のご検討をいただきたく願います。

  3. 鳩山内閣の動きは私も歓迎します。こういった検討がなされ、ちゃんと慎重に吟味された上で法改正がなされるのが大変望ましい。インターネットの問題にばかり注視し始終するのはよろしくないですが、急速な技術革新とは対照的に取り残された人々の意識というものを喚起する意味でも、このような議論の場が増えるであろうことは素晴らしいと思います。まず、技術屋さん、Save childrenさんのご指摘は理解いたしますが、森田さんの社会的立場も職務もありますし、書き込みされる内容すべてに返答するのは難しいかと思います。この発言群が団体とは関係なく個人的なものであると注釈したとしても、全く別の意思というわけには行かない。そういった意味での「回答しない」ということであり、森田さん自身が「回答不必要だ」または「控える必要がある」と思った内容については、返答なさらないのが適当であり当然です。しかしながら、この問題の中心に就かれている方とお話できることは大変貴重なことであります。が、所詮はインターネットを介した文字だけのやり取り。いくら議論と言いましても、そうそう柔軟に考えを再考していただけることなど有り得ませんし、特に、この問題が大きく影響を与えるであろう「女性人権問題への意識」や「文化」と「その歴史的背景やその特徴」を共有できていない以上、森田さんが実際の職務中において得ている情報を信じ優先するのは当然の思考でしょう。それを踏まえた上でも、なお、「森田さんに知っていただきたい」「この問題を単に子ども・青少年を守ろうという考えのみで遂行してしまっては大問題が起こる」ということを伝えたいからこそ、こうやって技術屋さんもSave childrenさんもしっぽさんも、そして私も書き込みさせてもらっている。森田さんのお考えと今後の活動に少しでもご配慮いただけるようになればと願うこと、それがこの書き込みと議論の最大の意味であり意義であり、さらに「本当の意味で子どもを守ること」の確認に繋がると思うのです。児童ポルノ法が女性の人権問題として捉えられがちなことしかり、一部の表現を問題視し、特定のメディアの創作物のみを問題視する傾向もしかり、率直に申せば、森田さんは子どもや青少年、または女性を守ることを絶対として位置づけており、まったくもって文化の素地に対する知識はゼロに近いと、技術屋さんが少々言及されているとおり私も認識しています。エログロナンセンスが社会的に・青少年健全育成的に問題だとし、表現の一部を法律で規制してもよいという大きな政治方針を考えておられるわりに、子ども・買春問題研究会様から得たであろう知識のみで語っていらっしゃる不勉強さが目に余る。どのような情報によってそのようにお考えになられたのか、よもやごく一部の創作物を例示され見ただけなのではあるまいか、という憂慮があります。森田さん自身がちゃんとお調べになったのか、そのプロセスがわからない以上、具体的に指摘させていただくことはできませんが、「きちんと議論して決めるべき」と譲歩を示されているその反面、「当然規制すべき」という前提で固まっておられるのは確実でありましょう。「ゲーム」という一部のメディアのみ「公然と販売されるような社会が青少年の健全育成にとって望ましい社会であるとは考えられません」とし、規制すべきであるとして主張されることの、その重大な過失に森田さんはまだ気付いておられない。ゲーム以外の過激な性描写を扱うメディア、「テレビ」や「小説」「漫画」果ては「アダルトビデオ」に対し、なぜ「青少年の健全育成とって望ましくない」と、「ゲーム」と同一視・対等視して語られなくなってきているのか。なぜかと推察すれば、「ゲーム」業界はその業界自体が政治経済的・社会的に弱く、規制を訴えることに即効性があると知れたからです。危ない人間が関与している場合があり、警察OBが多数天下りしている「アダルトビデオ」業界などには確実な活動が出来ない。そして、「出版」業界などの大企業に対して攻勢に出ることも憚られる。その結果、「外圧」という形で見つけられたのが「ゲーム」業界であり、資金難に苦しむ多くの人権団体がアダルトビデオ問題を休戦してこぞって取り上げだした理由のひとつでしょう。Rapelayというゲームに似たものなど数十年前・90年代からとうのとっくに存在したと聞きますし、それを彼らが知らなかったわけがありません。その架空のものという繋がりで、漫画やアニメにも批判の目を向けていこうという動きは、同様に成人向け作品を扱う出版社・制作会社が社会的に弱い企業であることに起因しています。「このメディアにおける表現は、他と比べ特に青少年の健全育成に悪影響を与えるものだ」という根拠が話された例は一切存在しません。「ゲーム」が問題であるのならば、同様に、「テレビ」も「小説」も「漫画」も「アダルトビデオ」も、すべての媒体を対等に問題視し、「青少年健全育成に悪影響であり、社会的に害悪であり、規制するべきだ」と示されるべきでありましょう。そして、それらがインターネット等の技術の普及により青少年に触れやすくなったといった類の話も、メディア媒体によって差別することなく訴えていかなければならないと思います。「表現や文化の一部を規制してよい」ということは、例えそれが社会通念を勘案し具体的に生成されたものだとしても、それは政治・言論・文化の自由を破壊する始まりに等しいことです。この表現は良い・この表現は悪いと、社会通念という主観的で流動的で不確かな基準で決められることではありませんし、社会通念という言葉を盾に、政治家や有識者による大衆への啓蒙意識が働き兼ねないことも懸念要素であります。・「源氏物語」は女性や幼い少女を性的搾取する貴族の物語ではないのか。・「風の谷のナウシカ」は少女に過酷な試練を課し、一部では裸体を描いたシーンがあるわいせつなアニメーションではないのか。・「ポケットモンスター」は動物を虐待する意識を植え付ける青少年に悪影響を与える不道徳なゲームではないのか。・ケータイ小説から書籍化し250万部を売った「Deep Love」において、主人公の少女が没頭している売春行為は社会通念上問題ではないのか。・「2時間サスペンスドラマ」で取り扱われる殺人・強盗・レイプ等は、テレビドラマとは言え子どもに見せてしまってよいのか。道徳観が主観的で確定できないものであるが故に、これらの疑問が主観による極端な解釈だと批判することは全くもって誰にも出来ません。特定のメディアの特定の描写のみ「青少年の健全育成とって望ましくない」とする主張も、当然主観でありましょう。まずこの矛盾点に気付かなければならないはずです。社会通念とは、個人の道徳観の集合体であり、誰かが誰かに強要・強制できるものではありません。そして、道徳観は個人が人間として得た「教育」や「経験」から生まれるものです。実際の犯罪の判例とは異なり、“表現の世界において”この表現は良い・この表現は悪いと法律で決めるということは、同時に、明文化されていない社会的暗黙の了解を法律という強制力を伴った拘束にすること、即ち言論・文化統制を行うことに等しいのです。その問題点について、申し訳ありませんが、森田さんは全くもって無知であると感じます。子どもや青少年のためという気持ちに私も多いに賛同したい面もありますが、上辺で感情的な言説に騙されてしまっては元も子もありません。最後に、年賀葉書の企画でセーブ・ザ・チルドレン様の募金活動が催されておりました。このような活動こそが世界の子どもの未来を守るのだと、私はとても嬉しくなりました。森田さんの子どもを守るためのご活動には大変敬服いたします。

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