児童ポルノ(25)良いお年をお迎えください

技術屋さま、しっぽさま、りすさま、Save childrenさま
 
年末のご多忙の時期に、私の議論に付き合っていただき、本当にありがとうございます。
 
私は、子どもの権利活動家なので、当然軸足が子どもの権利の擁護にあるわけですが、その観点からみたとき、まず、もう一度確認しておきたいのですが、
(1)実在の子どもを対象としたポルノグラフィーを製造し、流通させ、配布し、輸入し、輸出し、提供し、販売し、または上記の目的で所持することを処罰することについては、皆様も合意されている。
したがって、現行の児童ポルノ等禁止法についても、それが実在の子どもを対象としている限りにおいて、第3条2項3号の定義があいまいであるという点を除けば、基本的に賛同している(少なくとも反対ではない)。
(2)非実在の子どもを対象としたポルノグラフィーについても、松文館事件の最高裁判決は(完全に同意しているわけではないが)、日本の司法判断として尊重している。
 
したがって、皆様が反対しているのは、
(1)実在の子どもを対象としたポルノグラフィーの単純所持を処罰化すること
(2)非実在の子どもを対象としたポルノグラフィー、いわゆる創作物について、現行の法規制原理(猥褻性および青少年の健全育成)を超えた新たな規制原理を生みだすこと、
だと理解しました。
 
そして、(1)については実在の子どもを対象としたポルノグラフィーであっても、自己鑑賞目的で所有したり、仲間内で鑑賞し合うのは、被害者の子どもの人権を侵害しないので、法規制の対象とすべきではない、
(2)についても、現行の猥褻基準による表現規制および青少年健全育成の観点からの流通規制を超えた規制は、表現の自由の規制に当たるので法規制の対象とすべきではない、
という主張であると理解しました。
 
それに対して、私の立場は、
(1)自分が被写体となっているポルノグラフィーを誰かが鑑賞しているいう事実が、すでにその子どもの尊厳と人権を侵害している(個人法益説)
(2)非実在の子どもを対象としたポルノグラフィー、いわゆる創作物にについては、皆様も承認されている刑法175条の保護法益「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持すること」の観点から、「わいせつに該当するかどうかは社会通念によって判断されるものであり、最高裁判所は、前記チャタレー事件判決において、社会通念とは『個々人の意識の集合又はその平均値ではなく、これを超えた集団意識』であり、規範的な概念であると判事している」という現行の司法判断にしたがって、猥褻と司法当局によって判断される形態と内容の素材は、当然ながら法的規制の対処となる(社会法益説)
ということです。
 
ということで、私の主張は一貫しています。
なお、保坂さんが話しておられたように、現行の児童ポルノ等禁止法にはあいまいな部分があり、国家による不当な表現の自由規制を拡大するおそれがあるという点については、私も同意しています。
この点については、今後、関係省庁連絡会議のもとで現行法との整合性をきちんと調査・審議し、官僚から見た適切な表現案を国会に提示していただければ良いのだと思います。
 
また、市民社会からの提言に基づき生みだされた法律ですから、次期通常国会に法案が提出される前に、パブリックヒアリングとパブリックコメントの機会を設けていただけるように、政府に要求すべきと考えています。
 
年の瀬にもかかわらず、このブログ上での議論には、毎日数百名の皆さんがアクセスしてくださっています。
 
しかし、明日は大晦日です。
皆様にもぞれぞれのご予定があると思います。
とりあえず、年内の議論はここまでとしましょう。
 
繰り返しですが、規制推進派の私に対して、終始冷静に向き合っていただき、心より感謝申し上げます。
私も、この法律の実現を強力にプロモートした人間として、最後までこの法律がきちんと運用されるように、出来る限りの活動を続けていきたいと思っています。
 
良いお年をお迎えください。
 
 
 
 
 
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児童ポルノ(25)良いお年をお迎えください」への5件のフィードバック

  1. 私も森田さんの仰りたいことを理解いたしました。子どもの人権を第一とする立場の方として、一貫なさっていることも理解します。森田さんのおっしゃることからは、インターネットを主として見ている層のみに対する態度がうかがえます。森田さんが所謂規制推進派であり、このブログを拝聴している人々が慎重派・反対派と想定しておられるのは自然なことでありましょうが、そのように仮定して議論している限り、またはそのような型はめで考えている情態が、意見交換をまったくの平行線のまま維持するようにし、「お陰さまで、世間で規制反対派と称されている皆様の論拠がだいぶはっきり分ってきた気がします」という、「これは私の情報収集である」という扱いで接しておられることが垣間見える本音が出てしまうのだと思います。私としましては、(1)については、その単純所持の危険性をご理解いただいていることを確認していますので、特に依存はありません。その懸念を排除し、ポルノグラフィーの被害に遭っている子どもを正しく的確に助けられることが重要であると考えます。もちろん、その取締方法については、警察の捜索等がむやみやたらに行われる恣意性を帯びかねない可能性を一切解消しつつ、少なくとも、物理的・技術的に可能な限り実在の子どもを扱ったポルノグラフィーが拡散しないよう努力するべきです。努力するべきという言葉に留まっているのは、現段階ではその技術に確たる方法が無く、あらたな問題を生み出しかねない対処法は避けるべきだと思うからです。これについては、理知的・科学的方法を尊重される森田さんも同意いただけることかと思います。次に(2)に関しまして。森田さんが過去の判例としてチャタレー事件の判決文を引用され、社会通念についての考え方の論拠にされているのは承知しました。確かに、その判決文では、社会通念とは個々人を超えた集団意識であると解釈し、裁判官が健全な良識でもって判断するということになりましょう。そして、私が例示してきた「源氏物語」については、その歴史的価値や当時の社会通念を尊重し規制対象にするに相当しないのでしょうし、同時に過去の創作物を振り返って裁くことはしない、という明示でもあります。この「歴史的創作物」についてのことは、正直に申し上げてわざと他の例示に織り交ぜていたと明らかにいたします。しかし、森田さんが未だご考慮いただけていない重大な過失があることを知っていただきたい。松文館事件の経緯が、高校生の親がとある警察OBの議員に訴え出、なんの疑問・長考もなく警察の捜査へと発展したように、裁判によって創作物が裁かれる動因となるものは、個人がその者が持つ道徳観としての社会通念によって訴えられることがキッカケであり、主観に基づいた判断が理由となります。 (それが例え社会通念の問題として取り扱うに値しない場合があるとしてもです。) (また、松文館事件で取り扱われた書籍以上に過激な創作物(実写・非実写問わず)が存在していたであろう事は、誰もが認知しうることです。)そしてその主観が裁判によって吟味され、そのときそのときの裁判官の健全な良識としての社会通念によって判決されることでしょう。ですが、当然、社会的暗黙の了解を法規制という形で明文化することは、日本の司法において避けられていることですから、過去の裁判の判例によって、その先に起こるであろう裁判も対処していくということになるはずです。つまり、(2)で森田さんが主張しておられる具体的な形態と内容の素材に対する法規制の実現を訴えられていることは、社会通念という流動的で不確定な主観を論拠としている限りにおいては、政治行政と司法の分立に反する越権行為であり、憲法を侵害する反社会的思考に他ならないはずです。仮に一部の創作物や表現を法的に規制するということになるのであれば、その規制の論拠とされる社会通念を固定化し文章として明らかにし、時代の背景を勘案しないこととするか、または、その変遷に追随して随時改定していかなければならないということであります。もし時代背景を考慮しないのであれば、「歴史的創作物」も規制の対象となりチャタレー事件の判例文に反しますし、時代に即して変更するのであれば、一時的とは言え、社会通念という集団意識を裁判官のような存在の個人によって健全・良識的に確定させなければならなくなるでしょう。社会通念は「個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定するものでない」という判決を最大限に考慮するのであれば、それは、個々人の政治的な観点や人権擁護的な観点から議論してよいものではなく、当然、具体的に表現の一部を法的に規制する・社会通念を明文化することは、決してあってはならないことでありましょう。私が前々回で申した問題点とは、この部分までを含みます。社会通念は“個人の道徳観の集合体であり、誰かが誰かに強要・強制できるものではありません”と述べたことは、森田さんの立場である政治活動的スタンスから外れないようにしたが故のことであり、司法や判例の分野を範疇に含めていなかったためです。しかし森田さんが司法にまで話が及ぶことだとお考えになり、尚も社会通念が創作物の法規制の論証となるとお考えになるのであれば、司法と政治両分野への配慮を忘れてはならないのではないでしょう、と恐れながら進言いたします。森田さんのお立場である子どもの権利活動家としての考え方も確かに重要でありとても大切なことです。私も一刻も早く児童ポルノ法が正しく改正され、実在の子どもたちが性的搾取を受けている現状を打開せねばいけないと願っています。しかし、その子どもや青少年を守りたいと言う一心のみでは、全くもって不十分であります。子どもの権利活動家としての面だけでは決して正しい行いはできないと思います。森田さんが前回の記事で書かれました「子どもの生きる力」とはどういった意味なのでしょうか。子どもたちを見守る大人として、先に生ける者として、“障害や不当な搾取が無く「出来る限り個人が自分の意志で様々な試みを行うことができる自由な社会」”の構築しようとすることこそ、本当に訴え進めていかなければならないことなのだろうと私個人は思っています。年末のご挨拶恐縮です。このような挨拶は大切だと私も思います。森田さんも良いお年をお迎えください。明年もよろしくお願いいたします。

  2. >森田様何度も何度も指摘していることですが、何度でも繰り返し指摘させていただきます。刑法175条の対象が絵やCGに及ぶ事は、おそらくここに書き込まれている“誰も”否定していません。松文館裁判でも争われたのは刑法175条についてであって、児童ポルノ法違反とは“全く”関係がありません。強いて挙げれば公判の中で「青少年に見せる内容か否か」が問われた程度ですが、これも成人マークが付与されていたのですから本来はクリアしています。そもそも論で言えば対象となったアダルト漫画『密室』物語性の強い作品であることや、(当時の認識では)修正が十分に施されていたことから(漫画やCGが175条の対象になるにせよ)作品としてわいせつの要件を満たすのか否かについては未だに異論が存在する作品です。内容的にも児童は関係がありません。森田様が(2)にて松文館裁判の焦点を「非実在の子どもを対象としたポルノグラフィー」と主張する根拠をまずご提示願います。また刑法175条は既存の法令であり、その範囲において表現が規制されることについては(175条自体の違憲性はともかく)法令である以上当然のことです。森田様の書き様はあたかも絵画やCGといった分野が刑法175条の対象になっていないから規制を求めるといった内容であり、前エントリでの『児童ポルノとして規制を求める』こと、あるいは前々エントリでの『新法での規制を求める』といった内容とは完全に矛盾します。次に単純所持の問題については、個人的にはそれが実在児童の個人法益を侵すものであれば本来は規制されるべきであろうと認識しています。あとは日本の警察が信用に足る捜査機関であるか否かの認識でしょう。ここで日本では取り調べが可視化されておらず、それこそ自由権規約委員会による再三の勧告が未だに無視され、あまつさえ当の児童ポルノ法改正(改悪)を主張する警察OBである葉梨前衆院議員は先の法務委員会で(警官による自白強要が問題となった足利事件や志布志事件判決の直後であったにも関わらず)『自白は証拠の王である(単純所持規制による冤罪は自白を得れば解消する)』と主張して失笑を買うに至った始末です。善良な一般市民の感覚としてはこれで警察を信用するのは不可能です。さらにpublic commentは事実上「意見を聞いた」というパフォーマンスに過ぎず何の意味もありません。public commentに対する反対意見が多数を占めた場合、その解消が法案制定の際に義務化されるといった規則が存在しない限り、森田様の主張は「意見を聞くパフォーマンスを実行します。」と仰っているのに等しいのではないでしょうか?最後に、重要な点ですので何度でも問いかけさせていただきます。・社会法益規制により児童の個人法益が喪失することを認識しながら、児童の権利保護を主張する森田様がそれを実行していることに対するご見解・森田様による、表現規制に反対する団体は『児童の権利保護を行うに値しない』とする暴言の反対意見に対するご見解広くdebateを求めておられるのですから最低限、返答拒否・保留程度のご返答は宜しくお願いしたく存じます。

  3. >(1)については実在の子どもを対象としたポルノグラフィーであっても、自己鑑賞目的で所有したり、仲間内で鑑賞し合うのは、被害者の子どもの人権を侵害しないので、法規制の対象とすべきではない、何か誤解をされているようですが、仲間内で鑑賞会を開催したら現行法でも提供罪が発生します。これまで単純所持の規制根拠を巡るやりとりから察するに、森田先生の児ポ法の現状に対する理解の程度は極めて低いと言わざるを得ません。さて、もう一度質問させて頂きますが、「自己鑑賞目的の所持」それ自体が被害児童の人権侵害を発生するメカニズムについてご説明ください。単純所持の規制は極めて広大な権限を法執行機関に与えることになるので、「自明」などととおっしゃらず、きちんと他者に理解可能な説明をして下さい。

  4. (1)について性的虐待をされた画像が他人に所持されていることで、その子供が尊厳を傷つけられ、人権侵害を受けている、とする森田さんの見解は、間違ってないと思います。ただ、単純所持規制をしていないことが、すなわち、個人が鑑賞目的で保有することを認めている、と解釈するのはいささか齟齬があるように思えます。単純所持規制を明文化してしまうと冤罪発生など別のさまざまな弊害が起こりうるので、所持規制には直接言及はしないけれど、製造も販売も禁止することで、自然に消滅させるという方向にもっていき、最終的には所持も事実上不可能な状態にしてしまおう、ということだったのだろうと思います。で、実際製造・販売を禁止したことで、もはやこの国に、犯罪組織による商業ベースでの児童ポルノ製造というものはみられず、製造販売以前に作られたものがたまに出回ったり、親が娘の画像を売るといったケースが少々ある程度だといいます。規制派が煽るような深刻な事態が発生しているとは思えないのです。私が疑問に感じるのは、規制推進派の、まず単純所持規制ありきの姿勢です。冷静に考えてもらえればすぐ分かると思うのですが、単純所持規制というものは実効性というものがまったく担保されないのですね。現時点で誰が所持しているのかも分からないし、単純所持を規制したところで所有者が処分する保証もありません。それこそ全世帯一斉家宅捜索でもしない限り、それを確認する手立てはありません。それは現実問題不可能でしょう。単純所持規制は、所持に対する牽制や被害者の気休め程度にはなるでしょうが、根本的な解決には程遠いものです。その上、先ほども書きましたが、おびただしい数の冤罪が発生する恐れがあります。“児童ポルノ”の定義があまりにも広く(児童ポルノ法における児童というのが、小学生あるいは第二次性徴前の子供といった、本当の意味での“児童”と著しく乖離し、成人女性と外見上変わらない高校生なども含んでいる)、そして、この国に氾濫しているとされる児童ポルノの大半が、後者を被写体としたものであり、その殆どが彼女らが自ら年齢を偽って出演したアダルトビデオとされます。つまり、普通のアダルト映像画像だと思って閲覧していたものが実は児童ポルノであって、ダウンロードした閲覧者が児童ポルノであるとの認識のないまま突然逮捕されるといったようなケースが頻発すると思われます。最近も米カリフォルニア州でそうした事例が発生しています。(森田さんは、ご自身が冤罪事件に巻き込まれる可能性について、どのように認識されておりますでしょうか? 差し支えなければお聞かせください)。規制推進者たちは、あたかも単純所持規制が問題解決の切り札であるかのごとく喧伝していますが大量の冤罪や詐欺事件を発生させるだけで、児童の人権保護になんら寄与することもない、さらに、将来創作物規制と結びつけ、創作文化を壊滅に追い込む、といった思惑も見え隠れし、とても賛同できるものではありません。リアルの児童ポルノ問題については、別の解決策を探るべきと考えます。例えば、製造販売規制以前に作られたものは、高額の報奨金で回収でもしたほうが効果ははるかに高いでしょう。新たに作られるものは、製造者に対する処罰をより強化すべきでしょう(聞くところによれば、自分の娘の画像を売る親の殆どが、執行猶予付きの事実上の無罪放免であるといいます。それを規制推進者たちが放置しているというのは理解に苦しみます。 「画像が一度インターネット上に出回ったら永久に拡散し続ける」(規制推進派)のならなおさら大元を断ち切ることこそ最重要視すべきではないでしょうか。需要があるから作る人間がいるのだというロジック自体も変でしょう。犯罪被害者がいるから犯罪がなくならない、といっているのと同じです。児童ポルノの製造がなければ児童ポルノは存在しえないのです。) >(2)非実在の子どもを対象としたポルノグラフィー、いわゆる創作物について、現行の法規制原理(猥褻性および青少年の健全育成)を超えた新たな規制原理を生みだすこと概ねそのとおりです。創作物のわいせつ性については、性器のモザイク処理など成人アダルトビデオに準じた対応がなされており、また、青少年の健全育成という点に関しましても、年齢による閲覧制限がなされており、現時点で問題は殆どないと考えます。なお森田さんは先にレイプレイを挙げておられますが、レイプ物のアダルトビデオはごまんとあり、特に突出したものであるとは思えません。一部の規制推進者が、「『創作物』を『児童ポルノ規制法』でもって規制する」突破口にすべく利用しただけのように思えます。

  5.  お久しぶりです。 私は子どもの権利活動家ではありませんが、人権全般に関心を持っており、その観点から児ポ法が『よりよく改正』される事を切に望んでおります。決して「規制」に「反対」している訳ではありません。>(1)については実在の子どもを対象としたポルノグラフィーであっても、自己鑑賞目的で所有したり、仲間内で鑑賞し合うのは、被害者の子どもの人権を侵害しないので、法規制の対象とすべきではない、 『仲間内で鑑賞し合う』のは明確な権利侵害ですので須らく規制すべきと考えます(現行法でも既に規制されており、それを支持します)。 但し(以前、名誉棄損の例で示しましたように)、自己鑑賞目的所持は抽象的人権侵害に留まると考えるのが妥当である為『処罰』すべきではないと考えます(徒な処罰化によって廃棄が進むとは思えませんし)。 被害回復の観点や事故による拡散を防ぐ観点から、所持の違法化には賛成です。また、廃棄を促進するような努力規定を設けるべきかと存じます。 蛇足的になりますが、譲受行為は配布行為と共犯関係にあるとも考えられますので、一定(1号2号ポルノであり、かつ、被写体が明らかに児童である事が分かる場合など)の規制はなされて然るべきと考えております。>(2)についても、現行の猥褻基準による表現規制および青少年健全育成の観点からの流通規制を超えた規制は、表現の自由の規制に当たるので法規制の対象とすべきではない、 「現行の猥褻基準」は恣意的に運用されており、かつ、一部において厳しすぎる面もある為、全て納得している訳ではありませんが、何れにせよ今以上の過剰規制には表現の自由の観点から反対の立場です。さておき、本年はお疲れさまでした。良いお年をお過ごしください。

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