日本流「法の支配」

最近、丸山真男先生の作品を読み直しています。
その中の一冊が『日本の思想』(岩波新書)。
第1刷が1961年に出ていて、私が持っているのは1991年の第76刷。
 
そこで、丸山先生は以下のように書いています。
「元来近代的な制度やルールは社会的現実の多様性を前提として、これを規格し整序するところに成立つのであり、そこではルールの画一性はその『限界』の意識と相即しているのであるが、近代日本ではメカニズムが権力と恩情の即時的な統一によって運転されるから、それは無制限に日常生活の内部に立入って、これを規律しようとする傾向を帯びるばかりでなく、逆に尺度が『情実』に規制されて伸縮するので、尺度としての衡平をも果しえなくなる。こうして私生活の上にアイマイに、しかも重苦しく垂れこめる官僚支配あるいは組織の圧力…」(同書49―50頁)。
 
ちなみに、1月20日付のNew York Timesには<日本のスキャンダル、新旧体制の対立>というタイトルの記事が掲載されています。
…与党の大物小沢一郎に対する捜査は、この国のもっとも剛腕な政治家で、新しい改革派のリーダーと、戦後権力体制の中でももっとも強力な組織である検察庁との間の公開のバトルであるということで、国中の関心を引きつけている。 
この国の制度が変化することの兆しの中で、この対立の行き詰まりは、いつもとは違うパターンの批判の声の奔出を招いている。
検事たちが、(社会正義とは)何か別のものを守っているのではないか、ということへの疑問もまた提起されている。すなわちこの国の停滞した現状維持勢力であり、強力な権力を有するが、ほとんど説明責任をもたない官僚制度に対する批判だ。
そして小沢氏の民主党が昨年夏に自民党の長期政権を破ったときに打倒を誓ったのが、まさに、この官僚制度だったのである。
元検事の郷原信郎氏は次のように語る。
「このスキャンダルは、日本の民主主義を危機に陥れている。このスキャンダルは官僚システムが、自分に対して挑戦してきた、選挙で選ばれたリーダーから自分を守るために反撃したものなのだ。」 …
 
いろいろな見方があるものですねぇ。スマイル

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