日本の行方?

大木英夫先生の『ピューリタニズムー近代化の精神構造』中公新書(中央公論社)を久しぶりに読み返した。
この本は初版が1968年(昭和43年)4月25日に出ている。
私が持っているのは1981年(昭和56年)に出た11版。
たぶん、学生時代に買って読んだのだと思う。
 
1968年というのは緋牡丹お竜シリーズが始まった年である。
ちなみに、フーテンの寅さんシリーズが始まったのもこの年。
1960年安保の成立によって戦後日本の枠組が決まり、池田内閣の下での所得倍増計画が始まり、日本人は経済成長にまっしぐらに直進し始め、その成果が実感できるようになった頃。
90年代から20年も続く停滞と混迷の時代を経た今から振り返ると、高度経済成長なんていうものが日本社会にあったということ自体信じられないような気もするのだけど、今から振り返ると、この時代、日本人は経済面での成功を通じて次第に自信を取り戻すと同時に、自分たちの生活や将来に漠然とした不安を感じていたような気もする。
 
大木先生も、この本の初版はしがきの中で、近代化に向かった進み始めた日本社会に対する希望と、この近代化が挫折することへの不安を述べている。
そして、「(この本が)現代日本のかかえている問題の理解と解決に役立てば、と願っている」(同13頁)と書いている。
 
そして、大木先生は、(日本における)近代世界の確立のために必要な精神的条件である自由(個人の自立)が、(日本では)十分に強固なものとなっていないと指摘したうえで、「この自由の脆弱は、社会が外的に繁栄し平和であるかぎり、それほど問題にならない」(同188頁)であろうが、「「試練のときに、またもや外的な解決を求めていく群集を生み出すかも知れないのである」と述べ、「近代化は単なる歴史的必然性ではなく、倫理的必然性、つまり人間の高い理想と強い意志とによって達成されるべき課題なのである」と結論づけ、「戦後日本の自由と平和が『インターレグナム』(中間時代)となるかどうか、それは近代化をになう戦後に生きる人間の資質の問題である」(同191頁)と本書を締めくくっている。
 
優れた人というのは、未来を見通す力があるのでしょうね。
 
これからの日本は本当にどうなるのでしょうね?
 
まぁ、正念場です。スマイル
 
 
 
 
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