福澤諭吉『文明論の概略』

この本は、明治8年に出版されています。
 
「今の学者、権力の事を論ずるには、ただ政府と人民とのみ相対して、あるいは政府の専制を怒り、あるいは人民の跋扈を咎むる者多しといえども、よく事実を詳らかにして細かに吟味すれば、この偏重は、交際の至大なるものより至小なるものに及び、大小を問わず、公私にかかわらず、いやしくもここに交際あれば、その権力偏重ならざるはなし」
「権を恣にしてその力の偏重なるは、決して政府のみならず、これを全国人民の気風といわざるを得ず」
こういう文章を読むと、国民性というものは百年や二百年で変わるものではないということがよく分かります。スマイル
 
面白いのは、この当時、まだ国家神道は確立しておらず、福澤先生は(国家神道擁立に向けた)動きを明快に批判していることです。
「彼の皇学者流の説の如く、政祭一途の出るの趣意を以て世間を支配することあれば、後日の日本もまたなかるべし」
 
しかし、福澤先生の合理主義思想はなぜか、その後の日本の主流的思潮にはならず、日本はやがて超国家主義へと真っ逆さまに落ち込んでいったことは、21世紀に生きる自分たちにとっては、すでに取り返しようのない歴史的な事実。
ちなみに、第二次世界大戦前の日本は国際連盟の常任理事国だったわけで、1933年2月24日に国際連盟を脱退したあと、現在に至るまで国際連合の常任理事国に復帰することができないでいることを考えると、この過ちはものすごく高いものについたことだけは間違いがない。
 
やはり、「近代」という現象は包括的なもので、技術や制度面だけを要領良く取り入れることは出来ないのであって、近代に見合った精神というものが必要なのでしょうね。
 
もっとも、「近代」とはつねに未完のプロジェクトなので、失敗はつきもの。
決定的な失敗を犯さないように、ゆとりを持って、一歩一歩進むことが大切ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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