まずはやってみる

昨年9月に日本の近代史上初めて民意による政権交代が起きた。
 
私はその直後に北京で開催された第24回法哲学社会哲学国際連合世界学術大会(9月19日)で、西洋社会と北東アジア社会の(権利主体としての)自己観の違いを取り上げたスペシャルワークショップを主宰した。
私がこの大会用の原稿を用意していたとき、「日本は国家はリベラルであるが、社会はリベラルではない」というシンガポールの社会学者の評価(2005年公刊)を引用して、その評価に基本的に同意しつつ「いかなる社会も変化し得る」と反論し、さらに、その証拠として「日本でもイタリア、スウェーデン、メキシコ、インド、台湾のような総選挙による政権交代が起こった」と書いておいた。
有り難いことに政権交代は本当に起きて、19日には予定稿通りに発表を行うことが出来た。
 
いま、日本ではいろいろな混乱が起きていて、なんとなく先行き不安という雰囲気が漂っているのだけど、私はこれは創造的混乱(creative chaos)だと思っている。
 
国民が、代議制国家構造に十分な評価を愛着をもっていないときには、かれらはそれを維持する可能性をほとんどもたない
これは、有名なJ.S.ミルが『代議制統治論』で述べている有名な言葉。
そして、ミルは「最良の統治形態とは、…各市民が、その究極的主権の行使に発言権を有するだけでなく、少なくともときどきは、地方的あるいは全国的な公共の職務をみずから遂行することによって、統治に実際に参加することを求められるというものである」と述べている。
日本では、1970年代以降、この意味での市民参加が奨励されなかったので、国民の政治参加意識が低下して、結果的に政治の劣化を生じて、90年代以降の長期的停滞をもたらした。
 
私は2005年秋、小泉政権下での自民党圧勝に終わった衆議院選挙のあとに、こんな文章を書きました。
今でも正しい観察だと思っています。スマイル

20059月の衆議院総選挙による自民党の圧勝は、小泉総理の政策に対する賛同というより明治維新以来の「お上」によるパターナリスティックなおせっかいに対する人々のNOの表明である。人々は「お上」に指示され、指導されることに本当に嫌気がさしているのだ。自分のことは出来る限り自分と信頼できる仲間との話し合いで決めてやっていきたいという多くの人々の素朴な願望、そしてその延長線上にある世界のためにも出来る範囲で何か役立つことをやりたいという善意は、現在の日本が持つ最大の資産である。

 

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