日本の市民セクターの行方?

最近、霞が関の某課長とお話をする機会がありました。
 
私は子どもの権利活動家なので、いろいろなNGO、ネットワークに関わっています。
その中には、特定の官庁と定期的な意見交換をきちんと行ってきて、生産的な成果を生み出しているネットワークやNGOもあります。
しかし、一方で情報収集力、マネジメント能力、資金力に欠け、次第に世の中から忘れ去られていく組織もあります。
最近は、この組織やネットワークの消長のサイクルが早くなったのではないか、と感じます。
 
霞が関の役所サイドから見ていても、この風景は同じらしく、今や日本の市民社会は百家争鳴状態で、昔のように役所が特定分野の組織の意見集約をしたり、調整役を務めるのはすでに不可能というのが、その課長の感想でした。
 
1980年代の日本政治学会では、日本社会には統一的な支配集団が存在しないことに着目して、日本社会を「仕切られた多元主義」「官僚主導大衆包括型多元主義」と呼ぶことが提案されていたそうです(飯尾潤『日本の統治構造』中公新書、38頁)。
当時の日本には、さまざまな利益集団がありましたが、それらの利益集団は省庁の管理下におおむねあって、「さまざまな人々が自発的に利益集団を形成し、多様な利益集団が活発に活動することで、互いに牽制しあい、中期的にみて利害関係は政治の舞台で均衡する」「利益集団の活動が活発化することが、民主的な結論を出すことにつながる」という考え方にもとづく利益集団間の自由競争は存在しませんでした。
 
でも、どうやら、日本社会でもこの利益集団間の自由競争が始まったようです。
 
いま、公益法人が官僚の天下り先となっているのではないかという厳しい批判にさらされていますが、こういう役所的組織はバックにいる役所が資金面でテコ入れを続けない限り、激しい自由競争のなかで急激に淘汰されていくことになるのかも知れません。
 
昨今の金融問題で、市場原理主義の限界が叫ばれていますが、日本の市民セクターでは今後しばらく自由競争がさらに激しさを増すと思います。
その中で一般市民のサポートを得ることができる組織、ネットワークだけが生き残っていくことになるでしょう。
 
良い時代になったものですねぇ。スマイル
 
 
 
 
広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中