義理と人情の人権哲学

人権規範が国際化し、多様な文化のもとで実際に活用されるにつれて、人権規範に対する挑戦もまた増大している。
人権規範に対する挑戦は、実定法としての人権規範に対する拒絶にとどまらず、人権規範に象徴される西洋文明に対する批判という形を取ることも少なくない。
例えば、ラッチィンガー枢機卿(現ローマ教皇ベネディクト16世)は、自然法を「特にカトリック教会において、世俗社会および他の宗教諸派との対話にあたって、共通の理性に訴えかけ、世俗化した多元的社会における法の倫理的諸原則について合意しあうための」道具であったと述べ、「こうした自然法の、少なくとも近代における最後の要素として残っているのは、人権である」とした上で、「ひょっとして今日では、人権についての考えは、人間の義務と人間の限界についての教えによって補わなければならないかもしれない。こうした問いをめぐる対話は今日では、異文化交流的に解釈し、かつ設定されたものとなれなければならない。キリスト教徒にとってはこうした対話では、被造物と創造主の問題が重要となるであろう。インド世界ではこれに対応するのは『ダルマ』、つまり存在の内的な掟であり、中国の伝統では天の秩序という理念であろう」と今日の人権を巡る課題を総括している。

それでは、人権規範が多文化の下で適切に行使されるためには、何が必要であろうか。
チャールズ・テイラーも指摘するように、人権規範には実定法上の法言語としての側面と、その正当化根拠である道徳秩序構想としての側面がある。
私は、人権規範がそれぞれの国において法として遵守されるようになるためには、各国で広く承認された道徳秩序構想が人権規範の正当化根拠として受け入れられる必要があると考えている。道徳秩序構想とは、特定の社会が一般的に承認する社会的、個人的な行動規範である。
あらゆる社会は固有の道徳秩序構想を必ず持っているが、個々の道徳秩序構想は固有の個人観、社会観を擁している。
したがって、非西欧社会である日本において人権規範を定着させるには、日本社会において広く受け入れられた個人観、社会観に基づいた道徳秩序構想を人権規範の正当化根拠として再構成して提示する必要がある。

本研究ノートでは、以上の問題意識に基づき、日本における人権規範の正当化根拠としての道徳秩序構想を代表し得る観念として「義理」を取り上げる。
なお、日本における人権規範の正当化根拠として、日本固有の道徳秩序構想を明らかにするという試みは、日本の歴史やそこに見出される文化的遺産を絶対視するものではない。
文化とは常に生成・変容するものであり、その引き金ないし素材はしばしば外部から到来する。例えば、溝口睦子は、(5世紀初頭の)対高句麗戦における敗北のショックが、当時の日本社会に抜本的な体制の変革を引き起こすきっかけとなったのではないかとの考察を示し、その衝撃を幕末期の黒船来航や、唐・新羅の連合軍に惨敗した663年の白村江の戦いに比肩するものと述べている。
また、これらの外圧と同様あるいはそれ以上の衝撃が1945年の敗戦によって日本社会にもたらされたことは明らかである。さらに、1989年の冷戦の終結に伴う世界構造の変容と米国の対日政策の変化によって、戦後日本社会に定着していた心情的な一国平和主義が打ち破られたことも、歴史的な衝撃の一つに数えることが出来るであろう。
そもそも、日本文化とは何かを決定する主体は、日本に住む人々そして日本に関わる人々であり、それらの人々は過去の歴史的遺産、文化的伝統を踏まえつつ、新たな日本文化を創造する主体的権利を有している。
チャールズ・テイラーが述べているように、「過去とは(現在の)状況の源であり、未来とは自らの行動が(過去と)ともに決定する生きられた時間(lived time)」なのである。
したがって、日本における人権規範の正当化根拠としての日本固有の道徳秩序構想を明らかにしようとする試みは、歴史的・実証的研究と同時に、現代日本の何を変え、何を残すべきなのかという規範的研究の両者が必要である。
森田明彦「権理通義の思想―人権規範の日本的基層理念としての「義理」の可能性」『社学研論集』第14号、早稲田大学社会科学研究科、2009 年9月

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