森本敏『日本の瀬戸際』(実業之日本社、2011年3月3日)

この本は、昨年(2011年)3月3日に出版され、私は翌日に書評を書き始めたのだけど、東日本大震災によって中断してしまっていた。

「今、世界の中で東アジアは最も危険度が高いエリアと言える。おそらく、2011年から2012年にかけて、この地域における緊張度は一層高まるであろう。」という書き出しで始まる本書は日本の現状に関する深刻な危機感を提示して終わっている。

「しかし、よく考えると、深刻な問題は東アジアにあるのではなく、日本の中にあるのではないか。危機が起こっても政府と与党がうまく機能しないこと、見通しのないまま決断が行われていること、決断のプロセスが不透明であること、いつまでたっても防衛力を他国のように適切に活用できないこと、平和ボケのままの国民がいること。その一方で、一部に極端な右傾化傾向が見受けられること、普天間基地問題に代表される日米同盟という国家として最も重要な安全保障政策が解決できない事態になっていること、…」
「確かに、この国は国家として機能していないのではないか。」

いま、読み返すと森本さんの洞察はほんとうに正鵠を射ている。

それでは、日本は何をすべきなのか?
「日本としては、米軍の持つ重要な基地機能を安定的に維持することと、日米同盟協力を一層緊密化させるため努力することが、日本の国益追求の観点から見てもきわめて重要である」
「なぜ、沖縄を本土と比べて差別するのか。どうして本土の安全のために沖縄だけに米軍基地を押しつけるのか、という問題に真剣に取り組まなければ、普天間基地問題は前に進まない」
「結局、この問題を前に進めるカギは、海兵隊の活動を広く日本本土でも受け入れるための「共同使用の拡大」による負担の軽減である」
「そのためには、沖縄に駐留する米軍、特に海兵隊の活動・訓練機能をできる限り、本土に移転するやり方を抜本的に検討する必要がある。英国にある米軍基地のように、自衛隊の基地・施設をすべて米軍が使用できるようにして、その代わりに米軍基地を自衛隊が管理し、使用できるようにする。米軍基地の管理・運営を基本的に自衛隊が担当する。米軍基地に雇用される従業員を自衛隊が雇用する」
「普天間基地の代替施設は日米合意通りに辺野古周辺に作るとしても、この施設も自衛隊で管理する施設にして米軍と自衛隊の共同使用にするというやり方がある。さらに、九州一円に米軍の訓練施設を改めて探す努力をすべきである。普天間基地問題が迷走していたころ、十分な検討をせずに放置した離島の飛行場施設についても、改めて検討すべきであろう」

「海兵隊は将来、アジア太平洋において固定的な基地で運用されるのではなく、地域全体を動き回って柔軟に展開し、抑止機能を発揮する体制になるであろう。・・・こうした動きによって、米国がアジア太平洋地域の各地を使用したり、展開することにより、その分だけ沖縄の負担を軽減できる可能性は高い。・・・そうなると、グアム基地をできる限り早期に戦略基地化することが南シナ海、東シナ海に進出する中国海軍への対中戦略上必要となる。」

森本さんの視点、提言内容にはもちろん賛否両論があるのだけろうけれど、優れた安全保障の専門家の提言として本書は誠実に向かい合う価値が十分にあります。

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孫歌『竹内好という問い』(岩波書店、2005年)

この本も素晴らしい作品です。
 
戦後日本には、単なる共同体のメンバーとしての「国民」しか存在せず、そこには公民としての「国民」がない。
その結果、「(公民としての)国民」としての共同性を持たない私的個人および小集団のエゴイスティックな雑居的状況と、官僚政治の制度的な確立と硬化が共存するという事態が進行した。
これは、まさに、今日の日本そのものであるという気がする。
孫さんは、竹内好がこの課題に西洋近代思想にのっかって外部から批判するという立場からではなく、日本社会の土着の感情、言語化以前の思考から日本のモダニティを可能とする素材を探そうとした思想家であったと評価している。
しかし、同時に、孫さんは今日の世界においては、「現代社会における民族の自信を、直観的・非理性的な感情によって支えることはできない。国際的な視野および状況に密着した緊張感が必要であり、また伝統の継承を契機とする自己否定と自己の再構築が必要である」ことを自覚している。
 
孫さんは、また、竹内が「アジアは排他的な意味で西洋文明に対抗することはできず、西洋文明を内在化させる歴史的プロセスの中で独立した文明を築かねばならない」ことを強調していたことに言及している。
 
「日本人の「日本人」としての文化アイデンティティを否定的な批判のみによって解消することは不可能であり、何らかの再構築の形や思想の可能性が与えられないと、それは「無言の不服従」もしくはより破壊的な形で突然表出する」
 
戦後日本が未解決のまま残してきた宿題を明確に提示した、素晴らしい作品だと思いました。

先崎彰容『個人主義から<自分らしさ>へ』(東北大学出版会、2010年)

最近、東北大学川内キャンパスにある中央図書館に出かけた際に見かけて、手に取ったところ、たいへん興味深い内容なので、すぐにamazonで注文し、今朝読んでみた。
先崎さんは1975年生まれなので、まだ30代半ばなのだけど、尖鋭な時代感覚と問題意識を持つ、優れた思想史研究者だと思った。
 
先崎さんは、(私の理解では)「大きな物語」が最終的に解体し、人間の「動物化」、原理主義の台頭、生きることに意味を見いだせない人々が現出した1990年代以降の日本社会に対する一種の危機意識から、日本近現代思想史を振り返り、そこに現代と類似の「大きな物語」終焉の時代があったことを「発見」し、それぞれの時代における代表的な知識人が、混乱の中で、新たな生きる原理として何を見出したのか、という視点から、福沢諭吉、高山樗牛、和辻哲郎の思想を解釈し、先崎流日本思想史を提示する。
見通しのきいた、すばらしいパースペクティブを持つ研究書だと思った。
 
但し、先崎さんは過去の原理をそのまま現代に蘇らせようとか、現代日本に対する具体的な処方箋を提示しているわけではない。
「歴史家の言葉は陽動のためにあるのではなく、現在には失われた過去を言葉で取りもどし、見えない敵を怯える現代人のまえに見えるようにすることである」
「現実に翻弄され、ながされかけたとき、棹さす繋留点こそ歴史と言葉なのではないか」(同書230頁)
 
今日の日本では、未来への展望が見えない混迷の時代が続いているけれど、こういう時代こそ優れた思想家を生むのだろうと思った。
 

『ともに公共哲学する 日本での対話・共働・開新』

京都の公共哲学共働研究所所長の金泰昌先生の最新作。
昨日、一気に読んでしまいました。
一番興味深く思ったのは、第4部 東アジア発公共哲学の思想的源泉をともに探る 2.日本人の実心(まごころ)とはなにか 「公心」・「私心」そして「公共心」との関連を問う
 
金先生は、「今日は、日本人の実心―本心・真心・誠心・即ち、「まごころ」とは何かについて話したい」と切り出されています。
これに対して、3人の日本人の先生方は、日本思想史や東アジア思想の知識に基づいて解説を試みています。
しかし、片岡龍先生が指摘されているように、日本人の本心は日本人自身にとってもはっきりしておらず、精密な思想史的説明もそれを明らかにする上で必ずしも有効ではないようです。
これは、西ヨーロッパ社会とか中国などと比較した場合の、日本の特異な点だと思います。
たとえば、西ヨーロッパにおける「自己」とは何か?を明らかにするためには、テイラー博士が『自己の諸源泉』で展開されたように、その思想史的系譜を探求すれば足ります。
中国の精神史も、儒教を中心とした歴史を振り返るとことで大方理解できるように思います。
これに対して、日本人の「まごころ」とは何か?という問いに、日本人として応えることができないというのは、どういうことなのでしょうか?
 
金先生はこう書いています。
「何故、今更、日本人の実心―本心、真心、誠心―にこだわるのか。それは今まで一緒に公共哲学の対話活動をすすめてきた共働参加者たちの中に公共哲学の「論」はあっても、そこに「心」が込められていないとしか言いようながない場合が多々あったという実状認識があり、それはとても残念なことであるという反省と苦悩があるからです。いや、「心」がまったくなかったというよりは、真心、本心、誠心ではなく、仮の・偽りの・名(だけ)の心しかなかったというのが正直な実感であります。どんなにもっともらしいことを言い続けても、それが当の本人の本心・真心・誠心ではないということがわかってしまえば、そこに信頼を置けなくなるわけです」
 
日本の知識人の知的営みとその歴史自体が、日本人の「まごころ」を明らかにする上で役立たないということは、普通に考えると、これまで日本の精神史であるとされてきたものが仮の・偽りの・名だけのものであったということです。
確かに、武田康弘さん@白樺教育館が指摘するように「思想を語ることは、権力者と一部の選別されたコメンテーターのみに許される行為」(117頁)と考えられている日本社会では、自分の本心を言語化するという訓練を大半の日本人が受けていないことは間違いありません。
というより、自分の本心を持たないほうが、この社会では安全な人生を送れるので、誰もが無意識のうちに、そういう「無私」の生き方に従っている結果、それが常識になってしまっているということだと思います。
日本では、民主主義=話し合いで全てを決めることという神話が存在していて、本当に非効率的な話し合いが延々と続くことがあります。
なぜ、非効率的かと考えると、まずリーダーが存在せず、その組織の方向がはっきりしていないことが少なくない、次に一人ひとりの意見がはっきりしていないので、その「場」で一番声の大きな人間に議論が牛耳られ、その結果、決まったとされることに対する、参加者全員の正統性の感覚がないので、その結論も守られることなく、結局、話し合いとは「ガス抜き」に過ぎないということになりがちであるということだと思います。
 
しかし、このグローバル化の時代に、そういう以心伝心だけでは社会も組織も回らないので、次第次第に日本社会全体が普遍的なルールに移行しつつあるのだけど、これまで長年にわたってしたがってきた思考形式はそう簡単には変えられるものではなく、現在はまさに移行に伴う混乱期という状況だと思います。最近、日本の若者たちが異常なまでに内向き、安定志向になっていると指摘されるのだけど、これまで自明の原理と考えていた社会の暗黙のルールが崩れ出せば、誰でも不安になり、内向きになるのは当然。
特に、日本では新しい行動原理が提示されていないのだから、若者たちが不安になるのは当たり前だと思います。
 
これは、なかなか根の深い問題です。
 
 
 
 
 
 
 

商業の哲学

 公共哲学共働研究所から最新刊『ともに公共哲学する 日本での対話・共働・開新』(東京大学出版会、2010年8月1日)が届きました。
 
私も、第4部 東アジア発公共哲学の思想的源泉をともに探る 1.東アジアの伝統思想と東アジア発公共哲学(289―312頁)というところに出てきます。スマイル
商人道と公共哲学に関する私の質問と、金先生からの回答です。
 
実は、この日、会場で崔仁浩『商道(サンド)』を購入しました。
不思議なご縁です。
そして、この本の紹介文を『公共的良識人』に書きました。
そのもともとの原稿はこんな感じでした。
 

崔仁浩『商道(サンド)』

 

 崔仁浩『商道』は、1990年代末、それまで順調な経済成長を続けていた韓国が東アジア金融危機の影響を受けて失速し、IMFによる自由化政策の下で深刻な経済不況に見舞われたさなかに、韓国の大手新聞である韓国日報で連載が開始され、2000年秋に単行本として出版されると300万部を売り上げるという韓国史上稀に見る大ベストセラーとなり、ドラマ化までされたという現代韓国の人気小説である。

 韓国では、かつて日本と同様に士農工商という身分制度が存在し、最近まで商業には最も低い評価が与えられていたという。

 『商道』の主人公である林尚沃(イムサンオク)は、200年前の朝鮮に実在した大商人で、当時社会的に最も低く見られていた商業という仕事の中に、高い倫理を持ち込んで、その社会的評価を高めた人物として描かれている。

 作者の崔仁浩は、日本語版序文において以下の通り述べている。

 「イデオロギーも消えて国境も消えつつある21世紀。ミレニアムの新しい未来が幕を開ける今こそ経済の新世紀であり、それにともなう経済についての新しい哲学が生まれなければならないと考えた私は、“経済の新哲学”をテーマに200年前に実在した林尚沃という商人を主人公として小説を書き始めました。

 今まで私たちの経済は政経癒着と不正腐敗のような邪道により発展してきましたが、私は今こそ孔子が語った“利”よりも“義”を追求する正しい道で、“商業の道(商道)”を通じて企業家たちも仏となりうると固く信ずるに至りました」

 この本が、韓国でベストセラーとなったのは、「上からの資本主義」から「下からの資本主義」への転換点に立った韓国が必要としたエートス(時代の精神)を提供したからであるというのが、私の感想である。

 森嶋通夫[i]によれば、封建時代のあとに近代資本主義を建設した諸国は、ほとんど例外なく国家(政府)の出資資本や封建時代に蓄積された資本により設立された産業によって主導される「上からの資本主義国」として出発したが、やがてある発達段階に達すると、民間の個人により設立された私企業の株を一般個人が購入することにより、一般個人の資金にも依存するようになり、「下からの資本主義」へ移行するようになる。しかし、自由競争に基づく「下からの資本主義」を実現するには、他人との関係において自分自身の良心に対する誠実を重んじ、嘘をつかないことを中心的な徳目とするエートス(時代の精神)が必要であり、そのためには自由主義、民主主義、民権主義がその国のエートスとして定着する必要がある。

 『商道(サンド)』の主人公である林尚沃は、1801年に貧しい交易商人の子どもとして生まれた。林尚沃の家は、4代続く義州の湾商の家系であったが、大きな元手を持たない行商にすぎなかったその父、林鳳翮(イムポンヘク)は毎年清国に出入りする政府の使節団(冬至使)に付き従って、燕京に行き、人参を売って、絹を買って帰り、それを売りさばいて生計を立てていたと言われる。林鳳翮は中国だけでなく満州の言葉にも長けており、科挙試験の一つである訳科試験に合格して、訳官となることを目指したが、4度受験して失敗、自分の祖先の出自が低い身分であったことがその原因と知った直後、酒に酔って鴨緑江に落ちて亡くなっている。 

 林尚沃は、当時の厳格な身分制社会において、天下第一の商人となることを自らの人生の目標に定め、父に命じられて15歳のときに1年間学んだ秋月庵という禅寺の高僧であった石崇和尚(スクスン)の教えを守り、利よりも義を重んじる生き方を貫いて、韓国史上最大の貿易商となる。

 この林尚沃が、残した悟道頌(自らの悟った境地を詠った文章)が「財上平如水 人中直似衡(財物は平等な水と同じで、人は正しい秤と同じだ)」である。

 「財物とは、まさに水と同じようなものだ。…財物はもともと、わしのものではない。これは水にわしのもの、おまえのものがないことと同じだ。ところが人は自分のものでも他人にものでもない財物を、自分のものとして所有しようとしている。自分の手中に入った財物は暫くの間、そこに留まっているだけにすぎないのだ。流れる水を手に掴もうとしても、暫くの間は掌に留まるかのように見えるが、間もなくその水は消えてしまい、空となってしまうのと同じだ。

 これは人も同じことだ。生まれた時から貴い人賤しい人、豊かな人貧しい人、美しい人醜い人、高い人低い人はないのだ。どんなに貴い人であっても、彼は僅かな間の現世で貴い名誉を借り、錦の服を着ただけにすぎないのだ。もし錦の服を脱いでしまえば、彼は平凡な人に戻ってしまうものなのだ。だから、人は誰も秤のように正しい。秤はどんな人なのかを、ありのままの重さで測っている。どんなに貴い人であっても、過不足ない正確な重さを秤は示しているのだ」。

 「上からの資本主義」から「下からの資本主義」への移行期を迎えた韓国において、『商道』が評価され、多くの人々の共感を得たのは、人間を基本的に平等な存在と見る林尚沃の哲学と生き方が、現在の韓国の人々が求めるエートスを具現化しているからである。

 現代カナダの思想家チャールズ・テイラーは、「近代」社会に特有の倫理として「日常生活の肯定」を挙げている。職業の間には「聖なるもの」との距離に応じて、貴賎があるとする中世カソリックの考え方に対して、人間は世俗生活における職業と家庭生活を正しく営むことを通じて救済されるとするこの考え方は、軍事的栄光に価値を認める「名誉の倫理」に対して、地味で、規律正しい「生産」活動により価値を認める倫理観を生み出し、交易と利益の追求を肯定する道徳的基盤を作ったのである。そして、自律的な市場経済の発展は、政府から独立した公共圏の成立を促し、自治的人民という近代社会の社会像を生み出したのである。 

 森嶋は、日本も1980年代後半に「下からの資本主義」への転換点に達したが、政府も国民も「下からの資本主義」を確立するために必要な民主主義的経済体制への転換をやり遂げる勇気に欠けており、それが今日に至るまで日本社会が混迷を続けている原因であると分析している。

これに関連して、浜矩子[ii]は、最近世界の経済に深刻な影響を与えているサブプライムローンと日本経済との繋がりを以下の通り解説している。今回の金融危機は、米国のサブプライムローンが証券化されて、国際金融市場の中に入り込んだ結果、サブプライムローンの焦げ付きが、世界的に負の連鎖を引き起こした現象である。ところが、その背景には日本の長引く超低金利によって、国内で金利を稼げなくなったジャパンマネーが外貨に交換されて、海外にあふれ出し、世界的な過剰流動性を生み出していたという事情があった。その結果、過剰な資金はハイリターンを追って、ハイリスクの証券化されたサブプライムローンを含む金融商品に向かったのである。ところが、サブプライム・ショックで、米ドルから退避しようとした資金が円に向かい、円が買われた結果、急激な円高が生じたのだ。

つまり、今回の金融危機の根本的原因は日本国内に魅力的な投資先が少ないことであり、その解決のためにはバブル崩壊の頃からずっと言われ続けてきた日本国内の規制緩和による投資機会の創出と個人の自由な創意を促進する社会制度の整備が不可欠なのである。

これは、まさに「下からの資本主義」の実現に他ならない。

しかし、西欧諸国より遅れて近代化に取り組んだ日本には、今日に至るまで前近代的要素が残存したまま経済的近代化だけが先行するという、近代化の二重構造をかかえている。

富永健一によると、近代化には、経済的近代化としての工業化、政治的近代化としての民主化、社会的近代化としての自由と平等の実現、文化的近代化としての合理主義の伝播がある[iii]。南亮進によると、日本では工業化の伝播が最も速く生じた。次に実現したのが政治制度の近代化である。1889年には大日本帝国憲法が公布され、1890年には帝国議会が解説され、1924年から1932年の間には二大政党制も実現していたのである。しかし、日本における社会的近代化と文化的近代化の発展は最も遅く、その結果、民主主義的精神の発達が遅れたため、大正デモクラシーは簡単に崩壊したのであると南は結論づけている[iv]

 この近代化の二重構造は、1930年代に確立され、戦後も基本的に持続した官主導の経済成長、すなわち「上からの資本主義」によって1980年代までは破たんすることなく、存続した。1990年代までの日本経済の特徴とされた日本的労使関係、日本的経営、メインバンク制、系列、行政指導などは、1930年代から40年代にかけた日本経済の重化学工業化と軍事経済化に伴って成立したものであり、この戦時の経済システム改革の方向性は戦後になっても基本的に維持された[v]。その背景としては、第一に終戦直後に病弊した経済を再建するためには経済統制が必要であったため、戦時中の統制の仕組みがそのまま利用されたこと、第二に戦後の高度経済成長が日本的システムと呼ばれる官主導による護送船団方式の存続を90年代初頭まで可能としたという点が挙げられる[vi]

一方、戦後の民主主義的な諸改革によって進展するかに思われた自由主義、民主主義の精神は、経済成長至上主義の下で、1960年代以降、急速に生活保守主義的信条に取って替わられていった。生活保守主義とは、経済成長至上主義と一国繁栄主義(一国平和主義)を中核とする生活信条であり、その範囲内での国際協調を志向するものであった。

こうして、「上からの資本主義」体制の下で、日本社会では、「お上」依存の精神構造が解体されることなく今日に至るまで存続し、「民」の間には与えられた枠組の中で自分の取り分だけを争うというエコノミックアニマル的な精神構造が一般化し、自立して自らの夢の実現を目指す人間の足を引っ張ろうという「妬みの精神構造」が蔓延したのである。

トーマス・フリードマンは、冷戦時代の日本を以下のように描写している。

「日本は、自由民主党という政党ただひとつに支配されていた。自民党に統治される一方で、ロシアや中国と同じようにノーメンクラトゥーラ(特権階級)、つまりエリート官僚によって牛耳られていた。このエリート官僚が、資源の配分先をしばしば決定していた。日本の報道機関は信じられないほど従順で、おおやけに政府に操作されているわけではないものの、もっぱら政府に誘導されていた。日本は、非常に従順な国民を持ち、従わない者には巨大な代価を課していた。従わない者は、強制収容所におくられることはないかわりに、その人たち自身の内なるシベリアへと送り込まれた」[vii]

ここには「お上」との距離で、それぞれの社会的地位を測る身分制社会的発想は存在しても、人間の基本的平等という意識に基づく対等な個人によって構成される市民社会ないし公共圏が発展する余地はなかったのである。

チャールズ・テイラーの『近代社会像』の中に、以下の一節がある。

These declarations of rights are in a sense the clearest expression of our modern idea of a moral order underlying the political, which the political has to respect.(Charles Taylor, "Modern Social Imaginaries, Duke University, 2004: p.173)

  この考え方、つまり「権利章典や憲法に具現化されている人権は、近代社会の道徳秩序のもっとも明白な表現である」という考え方は、現在の日本社会でもっとも受け入れられないものの一つであると私は感じている。人権という理念を矮小化、ないし局限化しようという意図は学界、政界、教育界を問わず、日本社会に広く見られるように思う。

もちろん、誰もが正面切って基本的人権は日本国の基本原則の一つであるという主張に反対はしない。しかし、一方で人権という考え方を日常生活に取り込むことに対しては、本能的とも思われる拒絶反応がある。

その背景には、人間の基本的平等を前提とする人権の人間観に対する無意識の拒否感情があると私は考えている。

  例えば、90年代後半から日本では排外的でナショナリスティックな心情が広がり、特に911以降、この動きは、不思議なことに米国の対外政策に全面的に追随するという形で、日本の社会を押し流す大潮流となった。

 日本が米国の対外政策に追従したのは、そのミリタリスティックな「強者」の姿勢に惹かれたからであろう。

 ミリタリスティックな「強者」に無条件に従う発想は、垂直的な発想を持つ世代のものである。そして、この垂直的な発想は、戦前日本の「家族国家」論、すなわち、日本国内ないし進出地域の非日系民族は太古に日本民族を構成した日本民族の血縁であり、万世一系の天皇を「家長」、日本民族を兄、被支配民族を弟と看做す擬制家族観と同一のものであって、本質的に階層社会、身分制社会のイデオロギーである。

 したがって、そのような垂直的な発想を持つ世代にとって、尊厳と権利における人間の基本的平等を原理とする人権の思想が受け入れられないのは当然である。

しかし、近代化の二重構造を依然かかえているように思われる日本にも、いくつかの確かな希望の灯は見られるように思う。

ヨハン・ガルトゥング[viii]は、現在の日本社会には日本を頂点としてその下にアジア諸国があるという垂直的な発想を持つ古い世代が存在する一方で、アジアと日本を同列に並べる見方が若い世代の中で生まれていることを指摘している。実際に、わたしが日常的に接している学生たちも、他者への配慮、一人ひとりの生き方・考え方への尊重など、自由で民主的な社会を維持する上で必要な価値観を自然に身に付けていて、観念的になりがちなわたしの方が学ばされることが多いように思う。

また、NHK文化放送協会が1973年以来続けてきた「日本人の意識」調査の結果によれば、この30年間に日本では性意識、結婚観について「家」からの解放、男女の平等という方向で近代意識が進展しており、日本に生まれてよかったと感じている人は1973年時点の91%より2003年には95%に微増しており、自分なりに日本のために役立ちたいを考えている人も安定的に7割近くを占めている[ix]。戦後日本は、健全な日本への帰属意識を維持しながら自由民主主義的な価値観を定着させてきたのである。

そして、情報通信技術の発達がもたらした経済のグローバル化と市民レベルでの国際的な連携の拡大は、官主導の国家運営を時代遅れのものとしつつある。今年7月に洞爺湖で開催されたG8サミットに向けて、国内外のNGOが国際的なネットワークを構築して活発な政策提言活動を展開し、日本政府もそのような動きを基本的に歓迎し、具体的な連携を行ったことは、2000年の沖縄サミットに比べて、大きな変化であった。その背景には、巨大な市民社会組織との連携に基づき多元的な外交活動を展開する欧米諸国に抗するためには、日本にも成熟した市民社会と市民社会組織が必要であるという危機意識があったことは間違いがない。

さらに、経済成長至上主義が国民の精神的な不満を慰撫することができた時代が終わり、日米同盟に依存することだけで自国の平和を維持することができる時代が過ぎた今、日本の人々は自分たち一人ひとりが本当に信じ、依拠することができる信条を探し始めていると私は感じている。

現在の日本の知識人に求められているのは、このような人々のニードに応えることができる民主主義、自由主義、民権主義のエートスを論理化、言語化することであると私は考えている。

このような人間の基本的平等を前提とする民主主義の理念を自らの知的伝統の中に位置付けようとする試みは、日本だけではなく東アジア全域で進められている。東アジア諸国に見られる仏教や儒教に基づく人権の基層哲学を生み出そうとする試みは、その一つであろう[x]

日本にとって最も近い隣国である韓国で大ヒットしたと言われる『商道』は、長らく垂直的思考、階層社会的思考が支配的であった北東アジアで現在起きている大きな変化を象徴するものである。

その意味で、『商道』は日本においても広く熟読される価値を持った良作である。


[i] 森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』(岩波書店、2004年)。

[ii] 浜矩子「サブプライム問題はなぜ日本と関係があるのか?」『経済セミナー』5月号(日本経済評論社、2008年)。

[iii] 富永健一『日本の近代化と社会変動―テュービンゲン講義』(講談社、1990年)。

[iv] 南亮進「経済発展と民主主義」『デモクラシーの再生と崩壊』(日本経済評論社、1998年)。

[v] 青木昌彦・奥野正寛「現代日本経済システムの歴史的生成」『経済システムの比較制度分析』(東京大学出版会、1998年)。

[vi] 堺屋太一『日本の盛衰』(PHP研究所、2003年)。

[vii] トーマス・フリードマン、東江一紀・服部清美訳『レクサスとオリーブの木』(草思社、2000年)。

[viii] 京都YWCAほーぽのぽの会『平和を創る発想術』(岩波ブックレット、2003年)

[ix] NHK放送文化研究所『現代日本人の意識構造』(NHKブックス、2005年)。

[x] Joanne R.Bauer & Daniel A. Bell eds., The East Asian Challenge for Human Rights, Cambridge University Press, 1999Michael Jacobsen & Ole Bruun eds., Human Rights and Asian Values, Curzon Press, 2000Stephen C. Angle, Human Rights and Chinese Thought, Cambridge University Press, 2002WM.Theodore de Bary & Tu Weiming eds., Confucianism and Human Rights, Columbia University Press, 1998.

 
 
 
 

 

『世界を変えるみんなの力 Me To We』

1995年4月19日、当時12歳だったカナダのクレイグ・キールバーガー君は、テレビで12歳のイクバル・マシー君(パキスタン)が何者かに狙撃・殺害されたというニュースを観ました。
4歳のときに両親に16ドルで奴隷として売られ、そのあと6年間も絨毯工場で働かされ、12歳で解放されたあと、児童労働の過酷さを世界中に訴えて歩いていたというイクバル君殺害のニュースに突き動かされて、クレイグ君は11人の仲間たちと児童労働をなくすことを目的とした活動を開始しました。

これが、いま世界でもっとも注目されている国際NGOフリーザチルドレンの始まりです。

この本は、これまで3回ノーベル平和賞にノミネートされたフリーザチルドレンの創始者クレイグ・キールバーガー君が、フリーザチルドレンの目指す世界とその行動哲学を自分の経験や世界中の仲間たち、支援者の実例に基づいて、分かり易く説明した、フリーザチルドレン流世界の変え方ガイドブックです。
同時に、この本は自分が自分らしい人生を見つけ、毎日を生きいきと暮らすために、どのような考え方をして、どんな行動をすれば良いのかを解説した生き方読本でもあります。

自分のことだけ考える生き方から、みんなと一緒に生きることを考える生き方へ。
そのためには、
(1)感謝する
(2)共感する力をつける
(3)幸せとは何かを考え直す
(4)思いやりの範囲を広げ、みんなに役立つことを考える

意気消沈してとっても内向きになっている最近の日本。
そんな中で、「自分にも出来ることがありそうだ」と思わせてくれる爽快な本です。

 

現代日本の原点

ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店、2004年)を読んだ。
第二次世界大戦後の米国による日本占領の実態を、当時の日本の民衆の対応まで含めて包括的かつ実証的に描いた現代史の傑作。
 
占領期の日本の実態というは、実は私もよく知らなかった。
もちろん、生まれていなかった時代のことなので実体験というものはないわけだけど、きちんとした歴史的知識もなかったことに、この本を読んで気がついた。
日本は1941年12月7日に真珠湾攻撃によって第二次世界大戦に参観し、1945年8月15日に敗戦を迎えた。
 
それから、1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約に署名し、この条約が1952年4月28日に発効して日本はやっと独立を取り戻すことになる。
1945年8月15日より1962年4月28日まで実に、6年8カ月。
これは、日本が実際に第二次世界大戦に参加していた期間(3年9カ月)の2倍近い期間である。
これだけ長い期間、特定の国に占領せれていれば、この国の「かたち」は相当変わっても当然である。
 
しかも、1950年6月25日から1953年7月27日まで朝鮮戦争があった。
日本は、この戦争中に、米軍や韓国軍を支援するために義勇軍が自発的に組織されることもなかった。
1991年の湾岸戦争の際に、日本は積極的な貢献をしなかったと国際社会から批判された(とされている)が、そもそも、平和は望ましいが、そのために犠牲を強いられるのは絶対にイヤという一国平和主義は、1950年代はじめには既に日本社会に定着していたのだ。
 
しかし、興味深いのは、それだけ絶対平和主義に凝り固まった日本人が、その数年前までは狂信的な軍国主義にのめりこんでいたという事実である。
もっとも、これは興味深いとだけ言っていられない重大な結果を日本にもたらしたわけで、やはり真剣にその経緯を明らかにする必要がある。
 
昨日、砂時計(映画)を観た。
主人公のカップルの中学時代から26歳までのラブストーリーなのだけど、主人公の女性は母親が自殺したトラウマをずっと心のなかに抱えていて、そのことが二人の恋愛に深刻な影響を与え続けていく。
こういう映画を観ると、日本人が過去を簡単に忘れて、新しい生き方に順応するというのは、必ずしも正しくないのではないかと感じる。
 
第二次世界大戦直後、当時の日本人は、過去の記憶を抑圧したり、正当化したり、様々な心の葛藤と乗り越えながら、新しい「占領」という事態に立ち向かったのだ。
そして、その精神的遺産・課題は、現在の日本にも引き継がれている。
 
人間が生きるということ、一つの国が生き残っていくことは、本当にたいへんなことなんですねぇ。