義理と人情の人権哲学

人権規範が国際化し、多様な文化のもとで実際に活用されるにつれて、人権規範に対する挑戦もまた増大している。
人権規範に対する挑戦は、実定法としての人権規範に対する拒絶にとどまらず、人権規範に象徴される西洋文明に対する批判という形を取ることも少なくない。
例えば、ラッチィンガー枢機卿(現ローマ教皇ベネディクト16世)は、自然法を「特にカトリック教会において、世俗社会および他の宗教諸派との対話にあたって、共通の理性に訴えかけ、世俗化した多元的社会における法の倫理的諸原則について合意しあうための」道具であったと述べ、「こうした自然法の、少なくとも近代における最後の要素として残っているのは、人権である」とした上で、「ひょっとして今日では、人権についての考えは、人間の義務と人間の限界についての教えによって補わなければならないかもしれない。こうした問いをめぐる対話は今日では、異文化交流的に解釈し、かつ設定されたものとなれなければならない。キリスト教徒にとってはこうした対話では、被造物と創造主の問題が重要となるであろう。インド世界ではこれに対応するのは『ダルマ』、つまり存在の内的な掟であり、中国の伝統では天の秩序という理念であろう」と今日の人権を巡る課題を総括している。

それでは、人権規範が多文化の下で適切に行使されるためには、何が必要であろうか。
チャールズ・テイラーも指摘するように、人権規範には実定法上の法言語としての側面と、その正当化根拠である道徳秩序構想としての側面がある。
私は、人権規範がそれぞれの国において法として遵守されるようになるためには、各国で広く承認された道徳秩序構想が人権規範の正当化根拠として受け入れられる必要があると考えている。道徳秩序構想とは、特定の社会が一般的に承認する社会的、個人的な行動規範である。
あらゆる社会は固有の道徳秩序構想を必ず持っているが、個々の道徳秩序構想は固有の個人観、社会観を擁している。
したがって、非西欧社会である日本において人権規範を定着させるには、日本社会において広く受け入れられた個人観、社会観に基づいた道徳秩序構想を人権規範の正当化根拠として再構成して提示する必要がある。

本研究ノートでは、以上の問題意識に基づき、日本における人権規範の正当化根拠としての道徳秩序構想を代表し得る観念として「義理」を取り上げる。
なお、日本における人権規範の正当化根拠として、日本固有の道徳秩序構想を明らかにするという試みは、日本の歴史やそこに見出される文化的遺産を絶対視するものではない。
文化とは常に生成・変容するものであり、その引き金ないし素材はしばしば外部から到来する。例えば、溝口睦子は、(5世紀初頭の)対高句麗戦における敗北のショックが、当時の日本社会に抜本的な体制の変革を引き起こすきっかけとなったのではないかとの考察を示し、その衝撃を幕末期の黒船来航や、唐・新羅の連合軍に惨敗した663年の白村江の戦いに比肩するものと述べている。
また、これらの外圧と同様あるいはそれ以上の衝撃が1945年の敗戦によって日本社会にもたらされたことは明らかである。さらに、1989年の冷戦の終結に伴う世界構造の変容と米国の対日政策の変化によって、戦後日本社会に定着していた心情的な一国平和主義が打ち破られたことも、歴史的な衝撃の一つに数えることが出来るであろう。
そもそも、日本文化とは何かを決定する主体は、日本に住む人々そして日本に関わる人々であり、それらの人々は過去の歴史的遺産、文化的伝統を踏まえつつ、新たな日本文化を創造する主体的権利を有している。
チャールズ・テイラーが述べているように、「過去とは(現在の)状況の源であり、未来とは自らの行動が(過去と)ともに決定する生きられた時間(lived time)」なのである。
したがって、日本における人権規範の正当化根拠としての日本固有の道徳秩序構想を明らかにしようとする試みは、歴史的・実証的研究と同時に、現代日本の何を変え、何を残すべきなのかという規範的研究の両者が必要である。
森田明彦「権理通義の思想―人権規範の日本的基層理念としての「義理」の可能性」『社学研論集』第14号、早稲田大学社会科学研究科、2009 年9月

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自由貿易は民主主義を滅ぼすのか?

昨日(28日)、仙台への往復の新幹線の中で、エマニュエル・トッド『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』(藤原書店、2010年12月)を読んだ。
エマニュエル・トッドは、ソ連の崩壊を予言したフランスの高名な人口学者。
トッドの主張は、ヨーロッパは保護主義を採用することによって、中国などの新興国の安価な労働力とのグローバル競争を遮断し、ヨーロッパ域内の賃金を引き上げることを通じて域内の需要を高めるべきだということである。
しかし、トッドは経済学の基本的法則を理解していないと思う。
賃金が半分になっても、同時に物価が半分になれば、実質購買力は変わらない。
実際に、現在世界で起こっていることはこのグローバルな(賃金を含めた)財とサービスの価格低下なのだと思う。
もちろん、低賃金の労働力を求めて製造業が途上国に生産拠点を移す結果、先進国で雇用機会が失われているという側面があることは間違いない。
その結果、先進国では名目賃金(そして、たぶん実質賃金も)が下がっているために、先進国の消費者が未来を悲観して消費を手控え、一方で賃金が下がるのと同じようには土地の値段やその他の財やサービスの値段は下がらないので、購買力を維持するため、あるいは単純に最低限の生活水準を守るために貯蓄も取り崩すという事態が起きているのだ。

しかし、今日のグローバルな価格低下の根本的原因は、先進国と途上国の間の経済格差が過去数十年間にわたって拡大し続けてきたことである。
その間、トッドが指摘するように、途上国における識字率が高まり、先進国の労働者と競争し得る人々が途上国にたくさん生まれたので、その結果、途上国に巨大で安価な国際的に利用し得る余剰労働力市場が生まれた。
この安価な余剰労働力市場を作り出したのは、経済格差の拡大を放置した先進国である。
結局、長い目で見た時、先進国と途上国の賃金と物価水準が同等に近い水準に調整されれば、現在のグローバルな労働市場の不均衡は調整される。
そして、この調整は途上国側の低賃金の上昇と先進国側の賃金の低下の両方を通じて進むだろう。
その際の問題は、先進国側の名目賃金の低下ではなく、その実質購買力が維持されるかどうかということである。
先進国における生活水準の低下が起こらなければ、物価下落も賃金低下も実質的な問題ではない。
しかし、ケインズが言っていたように「長期的には、皆死んでいる」というのも本当だ。
現実的な対策は、企業がより低い賃金を求めて製造拠点を移すだけでなく、それらの地域での最低賃金を引き上げることで需要を拡大させる誘因を政策的に作り出すことではないか。
同時に先進国では、長期的なデフレに対応できる(財・サービス市場の価格メカニズムがより機敏に動くような)構造改革が必要ではないか。
グローバルに見れば、余剰労働力があり賃金水準が生存水準に張り付いている途上国の労働市場で製品を製造して、先進国ないしは購買余力のある中進国あるいは途上国の富裕層に販売するという戦略は、結局、製造拠点(雇用機会)を先進国から途上国へ移転させて、先進国の労働者の所得(需要)を減少させ、途上国にも追加需要を生み出さないので、中長期的には企業にとっての販路を狭める結果になる。
トッドは、「企業は、国内市場ではなく、国外市場に向けて生産するようになる。そうなると、『企業が支払う賃金は、国内需要を生み出すものだ』という意識が希薄になっていきます」と述べている(上掲書11頁)。

たぶん、現在求められているのは、一国経済の枠組を越えた、(国際的な所得再配分の制度設計を含む)グローバルなケインズ主義的政策なのではないか。

日本流政治・社会の「かたち」とは?

「アリストテレスの倫理学に関する著作は最も重要なことを述べています。…ある状況で何をなすべきかに関するそれぞれの文脈に応じた判断は、規則に還元したり、規則によって生み出すことは出来ないという見方です」チャールズ・テイラー
(「宗教と民主主義:世俗化概念の多元化」『環』第37号、藤原書店、2009年5月:インタビュー記事by森田明彦)

国際政治学者で平和学の創始者ヨハン・ガルトゥングは、日本の深層文化について、(物事を二元論的にはっきり分けて考えない)陰陽道的な傾向が強く、非常に垂直的で、そして実務的であると評価しています。
ガルトゥングによると、日本人はアジアの国でありながら日清・日露戦争で西欧列強に立ち向かいしかも勝利を収めたという点、また、かつては日本も開発途上国であったのに戦後は先進国に成長し、いわゆる「第三世界」から「第一世界」への仲間入りができたという点に民族的な誇りをもっており、さらに日本は第二次世界大戦での敗戦に対しては連合国全体に負けたのではなく、米国に負けたというとらえ方が強く、戦後の米国を頂点とする世界のピラミッドの下で、「日本は米国に選ばれ守られている民」と考えていると分析しています。
(ヨハン・ガルトゥング『平和を創る発想術 紛争から和解へ』岩波ブックレットNo.603、岩波書店、2005年、26―28頁)

日本は「第三世界」から「第一世界」へと仲間入りした。
日本は、戦後の米国を頂点とする世界のピラミッドの下で、「日本は米国に選ばれ守られている民」と考えている。

これらの日本人の自己評価が、世界を「階層的な秩序」と見る身分制的社会観に基づいていることは明白です。

東洋(あずま ひろし)は、日本社会の伝統的道徳原理を「分け前的平等主義」と定義し、以下の通り説明しています。
権利やルールを平等にし、そのルールに基づく公正な競争を期待する「規範的平等主義」に対して、「分け前的平等主義」は、個人が担当する役割とその役割に伴う責任とを合わせた「役」ないし「職分」を忠実に果たしていくことが正しいとする道徳原理であり、同じ役・分の中では人並みの分け前が保障されることを期待する。
「分け前的平等主義」が成立するには、社会的流動性が少なく、外部との接触が限られた、固定的な身分制社会が必要である。
日本に、「分け前的平等主義」が定着し確立したのは江戸時代のことであり、明治維新後、役・分の枠は国民一般にまで広がり、第二次世界大戦を経て、役・分の流動性がはるかに高くなり、規範的平等意識が浸透してきた現代においても、分け前的平等主義は依然、日本社会の基層的行動原理として機能していると考えられる。
(東洋『日本人のしつけと教育』東京大学出版会、2002年、11―12頁)

東洋は、さらに、集団主義を行動の目標として個人の目標より準拠集団の目標を優先させ、自我は抽象的な個性ではなく他の人々、またはその場面との関連で認識されるような性質を持つものと見なされる考え方と定義した上で、通常は社会が複雑化し、個人の準拠集団がひとつでなく多様化し、それらの間に不一致や矛盾が生じる結果、特定の人間関係に依存しない自我を前提とする個人主義への移行が始まるが、江戸時代の日本は鎖国により極端なゼロサム性と低い流動性を特徴とする社会となった結果、逸脱への許容度が低い社会となり、集団主義からの脱却が自我の一貫性を求める個人主義化の方向ではなく、その時の役割や立場によって行動原理が異なることを許容する「分け前的平等主義」という形で進展したと分析している。
(東洋『日本人のしつけと教育』、36―37頁)

東洋は、日本では分・役に基づく分け前平等主義を基層的道徳原理とする役割社会から完全に脱皮することなく近代化が進展したので、役割と「個」を互いに独立のものとして対置する必要が生まれなかったと分析している。その結果、分・役が流動化する過程で、自発的かつ積極的な役割の選択とその役割への適応が人生の目標となる自発的役割人間が誕生したのである。
(東洋『日本人のしつけと教育』、43―44頁)

東洋は、さらに役割社会は相互依存社会であり、そこでは人の気持ちを察する能力がものごとを明瞭に言い表す能力よりも高く評価する価値観が醸成され、この傾向は近代化以降の日本でも持続している点を指摘し、その結果、「日本では自我の発達がただちに独立を志向せず、親との同一化が、成長に伴ってより大きな社会単位との同一化へと転移を重ね、非常に大きくその意味で抽象度の高い同一化対象(たとえば共同体、国、人間一般)になるに及んで、機能的には独立の達成とほとんど同じことになる」のではないかと推測している。
(東洋『日本人のしつけと教育』、91―118頁)

「日本は米国に選ばれ守られている民」という戦後日本の基層的社会意識は、「他者との同一化を通じて自己充足を求める自発的役割人間」という日本人の基層的人間観に基づくものであることは明らかです。
そして、この日本人の基層的人間観は、自分が帰属する組織・社会を客観視し、自己の超越的信条に基づいて新たな組織・社会モデルを構築しようとする意志ないし意欲を生み出す余地がきわめて限られているという致命的欠陥を持っています。

チャールズ・テイラー博士は西洋社会の近代的自己と国家、経済、公共圏との関わりを以下の通り描いています。
我々は今日、平等な個人からなる社会に生きる存在として自らを理解している。今日の我々の社会への帰属は、様々な繋がり、特に我々が所属する血縁関係から切り離されており、また前近代的な封建社会では中心的な役割を果たしていた階層的関係を含む繋がりから切り離されている。今日でも、階層性や繋がりは存在しているが、近代社会像においては、それは国家、経済、公共圏の次元における社会的帰属から切り離されたものと考えられている。今日、我々は国家、経済、公共圏などの全体的つながりに直接帰属しており、その帰属は他の繋がりによって仲介されていない。そして、これらの全体は他者の社交性(sociability)によって維持されている。
(Charles Taylor, A Secular Age, the Belknap Press of Harvard University Press, 2007, p.575)

ここに描き出された「近代的(独立的)自己」と、日本の「相互関係的自己」の違いは決定的です。
そして、1990年代以降、日本社会がなぜ20年間も低迷し続けているのかもこの観点からすれば容易に説明がつくように思います。
外部に対して閉ざされた、比較的安定した、身分制社会の中で成立した、場に基づく役割社会の道徳原理は、徹底した個人化(individuation)と超国家的(transnational)行動原理を必要とするグローバル社会に最も不適合な行動原理の一つであるからです。

今日の日本が直面している課題は、比較的安定した同質性社会の中で確立した入れ子状の上下関係を反映した階層意識の克服であると思います。
しかし、現在の社会秩序、世界秩序を所与のものとして、その中で分に応じた努力を積み重ねることで社会的評価を獲得することを基本的行動原理とする大半の日本人にとって、この社会を客観的に突き放して観察し、新しい社会像を構想し、さらにその実現にために努力するという、主権者としての国民ないし主体的市民という意識と行動様式を確立することは容易なことではありません。
これまでの日本社会では、高い達成動機と集団の中で目立つことを回避する謙虚さという本質的には相反する価値が高く評価されてきましたが、この二つの価値が両立可能であったのは、社会が「場」に基づく複数の階層組織・集団に分断され、それぞれの組織において「分」に応じた役割を果たすことで、次第に高い評価を獲得できるシステムが機能していたからです。
しかし、今日の世界のように、流動化し、フラット化、モジュール化、ネットワーク化が進行する社会では、階層的秩序観に基づく行動原理は機能しません。
また、日本が少数民族、非日本国籍者、障害者を周縁化し続け、民族の同一性神話や一億総中流意識の幻想を持ち続けることももはや不可能でしょう。

1980年代以降本格化したグローバリゼーション(第三の開国)は比較的安定した政治的環境の下でそれぞれの分を尽くすことが望ましい生き方であるとする従来の日本の単一社会の論理に対して、自らの望む世界とは何で、日本はそのような世界でどのような存在として、どのような立場を占めたいのか、そして、そのためには何をすべきか、ということを全ての国民が具体的に考えることを強いられるという、これまでの日本にはほとんど欠如していた日常的なレベルでのグローバルな思考実践を日本の社会に強いています。
これは、主権者としての個人の政治責任を問う外圧と言い換えることも出来ます。
沖縄における在留米軍の負担軽減をマニフェストに掲げて政権を獲得した民主党鳩山政権が、日米交渉において後退を余議なくされ、最終的に退陣に追い込まれた原因の一つは、日本国民の間に望ましい日米関係像を含む理想の世界像が存在していなかったため、現状の日米同盟に対する代替案を提示できず、終戦直後に確立された冷戦体制を前提とした対米依存意識から脱却することが出来なかったためでしょう。

流動化する国際社会の中で、日本の人々が望む新たな地球社会の「かたち」とその中で日本が果たしたいと考える役割を再定義する作業は、それが、日本の伝統的な人間観、社会観の変容を伴うものであるため、これまでのように一部の知識人や権力者が適当と考える制度や考え方を他の先進国から部分的に導入することで対処するというわけにはいきません。
「お上(おほやけ)」が定めた秩序を所与のものとして受け入れるという精神構造自体が、今日のグローバル化が要求する社会像とその基層にある人間観と相いれないものであるからです。
したがって、新たな国の「かたち」「目標」を再定義するという作業は、一人ひとりの市民の自発的な対話に基づいて行われる以外にはありません。

その意味では、「おほやけ(公)」が国家、政府、体制、組織、集団を指し、これらは所与の存在であり、「わたくし(私)」は「おほやけ(公)」の下位に位置づけられた存在として、私利の心である私心を離れて(=無私の心)「おほやけ」に奉仕することが善とされてきた日本の伝統的価値観は、今や根本的な変容を迎えつつあると言えます。

「最善の制度とは常にその国の市民が生きる固有の環境を考慮したものである」
チャールズ・テイラー博士の学問上の同僚でもあるカナダのギ・ラフォレ教授が提示したアリストテレス哲学の基本的考え方です。

日本社会固有の環境を考慮した政治・社会制度とはどのようなものなのでしょうか?
今年の大きな課題です。

10月16日午後1時~ユニセフ子どもトーク《世界は友だち》

【ユニセフ子どもトーク】
主催:森田明彦研究室(尚絅学院大学総合人間科学部現代社会学科)
協力:日本ユニセフ協会宮城県支部
会場:尚絅学院大学4号館112教室(定員200名)
    宮城県名取市ゆりが丘4-10-1
参加費:無料

開催日時:1016日(土曜日) 13:00-14:3090分間)
<プログラム概要>
ユニセフ(国際連合児童基金)東京事務所代表の平林国彦(ひらばやし くにひこ)さんと、宮城県出身の参議院議員の今野東(こんの あずま)さんをゲストスピーカーにお招きして、中学生、高校生、大学生、そして大人がそれぞれの立場から世界、そして日本の子ども達のの問題を語り合い、自分たちに出来ることを考える、世代間対話の試みです。
<スケジュール>
1300 開会
司会者(尚絅学院大学4年生および尚絅学院高等部生徒)
13:00-13:02 主催者挨拶 
13:05 平林ユニセフ東京事務所代表によるお話(20分)
   「世界の子どもたちは今」
13:25 今野東国会議員によるお話(20分)
   「子ども最優先!-難民の子ども達」
13:4514:30 子どもパネリストとの質疑応答(会場からの質問を含む)
14:30 閉会
<平林国彦(ひらばやしくにひこ)ユニセフ東京事務所代表プロフィール>
20104月にUNICEF東京事務所代表に就任。1994年から約10年間、国立国際医療センター国際医療協力局に勤務し、ボリビア、コロンビア、インド、インドネシア、ホンジュラス、ウズベキスタン、南アフリカ、ベトナム等の病院での技術指導、保健省での政策立案支援などを担当。JICA専門家・チーフアドバイザー、WHO短期コンサルタントなどを経て、2003年からUNICEFアフガニスタン事務所(保健省シニアアドバイザー、UNICEFアフガニスタン事務所保健・栄養部長)、およびレバノン事務所(保健栄養部臨時部長)を歴任。20069月から20086月までUNICEF東京事務所副代表。20087月からUNICEFインド事務所副代表。
1984年筑波大学医学専門学群卒 医師免許取得、循環器外科を専攻(筑波大学付属病院、茨城こども病院、神奈川子ども医療センターなどで研修)。1994年筑波大学大学院博士課程終了、医学博士取得。
<今野東(こんのあずま)参議院議員プロフィール>
明治学院大学社会学部卒業。フリーアナウンサーとしてテレビ・ラジオで活躍。東方落語主宰。難民支援基金理事長。
2000年衆議院議員(宮城1区)初当選、2003年再選民主党政調副会長、次の内閣人権担当副大臣を経験、20077月の参議院選挙(民主党比例代表)で初当選。
201010月現在
裁判官弾劾裁判所裁判長
法務委員会委員
沖縄及び北方問題に関する特別委筆頭理事
「リベラルの会」世話人
◆所属している主な議員連盟
日本の森を元気にする議連・会長
人権問題を市民と共に考える議連・副会長
シベリア議連・副会長
戦後補償を考える議連・幹事長
アムネスティ議連・事務局長
ミャンマーの民主化を支援する議連・事務局長
西サハラ問題を考える議連・事務局長
民主党行政書士制度推進議員連盟
民主党税理士制度推進議員連盟
北方領土返還・四島交流促進議員連盟
沖縄等米軍基地問題議員懇談会
取調べの可視化を実現する議員連盟など
◆趣味:ガーデニング、料理(ビーフシチューが得意)
◆家族:妻、長女、長男4人暮らし

10月5日グローバルエコノミー論特別講義「経営者という生き方」

尚絅学院大学で私が担当しているグローバルエコノミー論で、以下の通り、外部講師による特別講義を予定しています。

 

なお、この特別講義は、経済産業省の委託を受けて大和総研が運営している大学・大学院起業家教育推進ネットワーク事業の一環として実施するものです。

 

【開催概要】

日時:105日(火曜日)08:50-10:20

会場:尚絅学院大学4号館112号教室

講師:深田智之氏(株式会社くつろぎ宿代表取締役社長)

(講師略歴)

1964年 東京生まれ
1991
年 東京電機大学大学院理工学研究科建設工学修士課程終了
1991
年 株式会社住信基礎研究所 入社
1996
年 第一勧業銀行(現:みずほ銀行) 入行
1998
年 株式会社第一勧銀総合研究所(現:みずほ総合研究所) 転籍
1991
年~2001年までの業務内容 大規模・低未利用不動産等の有効活用に関する調査・研究コンサルティング業務など
2001
年 株式会社リゾート・コンベンション企画 設立 代表取締役社長に就任(現任)
大規模年金保養基地 グリーンピア土佐横浪の管理・運営
2005
年 株式会社くつろぎ宿 設立 代表取締役社長に就任(現任)
会津東山温泉における老舗3旅館の経営(再建)

 

10月16日(土曜日)午後1時より「世界は友だち-日本の私たちにできること」

来月16日(土曜日)、宮城県の尚絅学院大学で開催される大学祭(尚志祭)の一環として、ユニセフ(国際連合児童基金)東京事務所の平林国彦(ひらばやし くにひこ)代表と今野東(こんの ひがし)国会議員(宮城県選出)をゲストスピーカーにお迎えし、一般公募した子ども達を交えて、「日本の私たちに出来ること」をテーマとしたパネルディスカッションを行います。

会場:尚絅学院大学

開催日時:1016日(土曜日) 午後1時~2時半(90分間)

主催:森田明彦研究室(尚絅学院大学現代社会学科)

協力:財団法人日本ユニセフ協会宮城県支部

13:00 主催者挨拶 

13:05 平林国彦ユニセフ東京事務所代表によるお話(20分)

   「世界の子どもたちは今」(仮題)

13:25 今野東国会議員によるお話(20分)

   「子ども最優先!」(仮題)

13:45 平林ユニセフ駐日事務所長と今野東国会議員との対談(10分)

13:55~14:30 子ども参加者を交えたパネルディスカッション(一般参加者との質疑応答を含む)

14:30 閉会

司会:尚絅学院高等部生徒と尚絅学院大学現代社会学科学生のペア

 

参加申し込みは電子メールでタイトルに「ユニセフ子どもトーク参加希望」と記入の上、本文に氏名、年齢を書いて、以下のアドレスまでお送りください。定員200名(先着順)。E-mail: jcu260@hotmail.com

 

 

 

(このあと、午後245分より345分まで尚絅学院高等部生徒および尚絅学院大学大学生によるユニセフ学習発表セッションを予定しています)

 

また、翌日(17日)には「表現アートを活用した参加型人権教育ワークショップ」も行います。

今回のワークショップは、クリスタルボールとアロマで学ぶ、子どもの権利条約という感じでやりたいと思っています。

11月14日の「子どもの権利条約フォーラムin宮城」分科会の前哨戦です。

こちらにも、ぜひ、ご参加ください。

開催日時:1017日(日曜日) 午後2時~4時(2時間)

ファシリテーター:森田明彦(尚絅学院大学現代社会学科教授)

尚絅学院大学会場4号館1F

孫歌『竹内好という問い』(岩波書店、2005年)

この本も素晴らしい作品です。
 
戦後日本には、単なる共同体のメンバーとしての「国民」しか存在せず、そこには公民としての「国民」がない。
その結果、「(公民としての)国民」としての共同性を持たない私的個人および小集団のエゴイスティックな雑居的状況と、官僚政治の制度的な確立と硬化が共存するという事態が進行した。
これは、まさに、今日の日本そのものであるという気がする。
孫さんは、竹内好がこの課題に西洋近代思想にのっかって外部から批判するという立場からではなく、日本社会の土着の感情、言語化以前の思考から日本のモダニティを可能とする素材を探そうとした思想家であったと評価している。
しかし、同時に、孫さんは今日の世界においては、「現代社会における民族の自信を、直観的・非理性的な感情によって支えることはできない。国際的な視野および状況に密着した緊張感が必要であり、また伝統の継承を契機とする自己否定と自己の再構築が必要である」ことを自覚している。
 
孫さんは、また、竹内が「アジアは排他的な意味で西洋文明に対抗することはできず、西洋文明を内在化させる歴史的プロセスの中で独立した文明を築かねばならない」ことを強調していたことに言及している。
 
「日本人の「日本人」としての文化アイデンティティを否定的な批判のみによって解消することは不可能であり、何らかの再構築の形や思想の可能性が与えられないと、それは「無言の不服従」もしくはより破壊的な形で突然表出する」
 
戦後日本が未解決のまま残してきた宿題を明確に提示した、素晴らしい作品だと思いました。